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2022.01.19

【報告】第29回石牟礼道子を読む会

2022年1月18日(火)15時より、Zoom上にて、第29回石牟礼道子を読む会が開催された。年明け最初のわたしたちの集まりの目的は、改めて『苦海浄土』に立ち返り、とりわけ第3部「天の魚」に描かれる1971年の年末から1972年にかけての冬の時期に、石牟礼たちが水俣から東京に赴き、チッソ本社前で座り込みをした道行を辿ることである。かねてより、読書会メンバーでは水俣に赴く計画があったが、その前段階として、石牟礼たちが当時たどった東京駅周辺の地理を自分たちで歩くことができないか、というアイディア実現のための事前準備会でもあった。

発表担当の山田悠介氏(大東文化大学)のほか、鈴木将久氏(東京大学)、武田将明氏(東京大学)、張政遠氏(東京大学)、佐藤麻貴氏(東京大学)、宇野瑞木氏(EAA特任助教)、宮田晃碩氏(東京大学大学院博士課程)、建部良平氏(東京大学大学院博士課程)、サラ・ニューサム氏(カリフォルニア大学大学院博士課程)、徐嘉熠氏(清華大学大学院博士課程)、それから報告者の髙山花子(EAA特任助教)の合計11名が参加した。

山田氏は、主に『苦海浄土』第2部「神々の村」と第3部「天の魚」を参照し、1969年から1972年に石牟礼周辺で起こった出来事を時系列に丹念に整理して提示した。長らく未完のままだった第2部の最後に描かれているのは、1970年11月28日に大阪でチッソの株主総会が行われた際に、水俣からの巡礼団が御詠歌を歌い、その翌日に高野山へ向かった一同の姿である。それを踏まえた上で、山田氏が整理したのは、翌年の1971年11月1日に、患者の川本輝夫のグループがチッソの水俣工場前に座り込みをはじめ、ほとんど同時期に、東京農業大学のメンバーがチッソ東京本社前に座り込みを始めたこと、さらにその後、翌12月初旬に川本たちが水俣を出発し、12月6日に東京駅に到着してチッソ本社に赴き、社長と対面し、1973年7月12日まで断続的に座り込みを続けた経緯が、第3部に描写されるエピソードの時期と重なっていることである。

そして、当時をたどる道のりとしては、東京駅丸の内南口から、当時のチッソ本社、すなわち現在の東京ビルディングを経て、皇居前広場を通過し、桜田門に行き、社会文化会館や日比谷公園に抜けるルートが可能性として提案された。

山田氏は、当時の朝日新聞での座り込みを取り上げる記事や、今昔マップといった地図、それから気象情報も紹介すると同時に——コンクリートに座るには厳しい寒さで、1972年1月1日は満月だったという——、「天の魚」でいかに東京駅周辺を歩き回る水俣の人たちの姿が描かれているのかを、距離感と歩く時間感覚の推定とともに、50年前の歩行の姿を克明に示してくれたと言えるだろう。

 

山田悠介氏の発表資料より

 

議論では、明治100年に向けての節目でもあった1968年の時代性や、その頃の東京がある種の「舞台」として機能していたのではないか、といった話題が上がった。1980年代に入っても、いまと風景は異なれど、明治以来の荘厳な建築が並んでいた様子が圧巻であっただろうことや、たとえばそれが水俣から出てきた人たちの目にどのように映ったのか、意見が交わされた。また、現在のように交通網が整備されていない中で、車中泊を含んで水俣から東京まで移動した一行の旅路の過酷さについても言及された。

議論を聞きながら思いだされたのは、1970年6月12日付の『アサヒグラフ』の水俣病特集で、石牟礼道子が「悪相の首都・東京」と題したテクストの最後に、次のように書いていたことである。

 

この現代の穴居都市、東京の、そのまた小穴ぐらめく暗がりでいわれると、この深い奈落の入口はどこであったろうとおもえてくるのだ。

日比谷公園の緑したたる皇居のあたりに、落し穴が仕かけてあって、そこが迷路の入口で、わたしはそこからまた、見知らぬ億土に墜ちてきたのではあるまいか。

出口にみえている人工的な光の世界には、悪相の人口が過密だったから、どこかへもどってゆきたいけれど、わたくしはもどってゆくところがなくて、出口にふさがっている東京を憎悪する。(同号、24-25頁)

 

これまでも、石牟礼にとっての「東京」のイメージについては、その空が故郷の空や海と重ねあわせられていること、さらにはそうした描写の中にも公害問題が見え隠れすることが議論されてきたが(第8回)、今回の山田氏の発表を受け、東京の知っているはずの土地周辺の時空間では、石牟礼だけではなく、東京にやってきた何人もの人々の視点や声や感情が交差していたであろうし、それらが第3部にしっかりと織り込まれていることが痛感された。テクストを細やかに読むことで、知っているつもりになって通り過ぎていた見知らぬ風景が立ち上がってくる——。どのような形になるかわからないが、2月に東京駅に訪れたときに、自分たち自身がなにを見、感じるのか、楽しみに待ちたいと思う。

 

 

報告:髙山花子(EAA特任助教)