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2020.10.13

第8回 石牟礼道子を読む会

2020年10月12日(月)15:00よりZoom上にて第8回石牟礼道子を読む会が開催された。参加者は、鈴木将久氏(人文社会研究科)、前島志保氏(総合文化研究科)、張政遠氏(総合文化研究科)、宇野瑞木氏(EAA特任研究員)、佐藤麻貴氏(東京大学ヒューマニティーズセンター)、宮田晃碩氏(総合文化研究科博士課程)、建部良平氏(EAAリサーチ・アシスタント)、田中雄大氏(人文社会系研究科博士課程)、それから報告者の髙山花子(EAA特任研究員)の9名であった。発表は髙山が担当した。

今回は、『苦海浄土』第3部「天の魚」を読む初回で、サブテクストは以下を選んだ。

 

・石牟礼道子、黒井千次「都市の襞を這うもの——『天の魚』をめぐって——」、『展望』1975年4月号、筑摩書房、1975年4月、53-71頁。

・Paul Jobin, « La maladie de Minamata et le conflit pour la reconnaissance », Ebisu Etudes Japonaises, 2003, no. 31, p. 27-56.

・石牟礼道子「祖様でございますぞ」、『思想』908号、岩波書店、2000年1月、2-4頁。

 

これまで第1部、第2部をさまざまな角度から読んできたが、第2部の最後に大阪チッソ株主総会での「狂い」の場面が描かれているように、やはり、とりわけ1970年以降に劇的に展開してゆく水俣病事件とテクストそのものの連関は重要であると思われる。そこで、今回の発表では、まず第3部が筑摩書房の雑誌『展望』の1972年3月号から1973年12月号に連載されていた状況を確認した。当時の『展望』に石牟礼が連載「天の魚」以外の寄稿をしていることや、同誌掲載の土本典昭による海外での上映報告文、さらには「水俣病センター」設立をめぐる座談会記事をみていった。また、黒井千次との対談では、石牟礼が積極的に「フィクション」と「ドキュメント」の双方をあわせもった文学を目指していることが明言され、また方言表現を詩語に昇華しようとする思惑も明かされていることを確認した。

 

その上で、第3部のテクストと当時の具体的な出来事との関係の例として、土本典昭監督の記録映画『水俣——患者さんとその世界』(1971年3月12日公開)について書かれた部分を抜粋した。具体的には、チッソ東京本社前での座り込み、映画『水俣』に細川一博士と石牟礼の対面を撮影する企画があったこと、および同時期に石牟礼が詩経を描き始めたことを確認した。第3部においても舟がキーワードとなっており、海と空のイメージが引き継がれているが、この場合は東京の空の美しさが、水俣の海と空と繋げられる形で強調され、それが「天の海」とも表現されている。

土本典昭『水俣—患者さんとその世界』(1971年)DVDのジャケット

 

議論となったのは、東京の空が「美しい」とは書かれるものの、そこにはまた大気汚染をはじめとする都市の汚濁もまた描かれている点をどうみるのか、ということであった。水俣から東京を訪れた人たちの感性の特徴や、石牟礼による独特の「流民」のイメージ、さらには1970年代の石油危機やロッキード事件といった情勢、地方と東京の関係も検討する必要性が浮上した。また、当時のリアリズム写真やドキュメンタリー映画について石牟礼自身がどのような態度を持っていたのか、という質問もあがった。さらに、水俣病センターという具体的な「場所」を志向していた石牟礼の共同体像の観念的な部分を、西田幾多郎の「場所」についての思考とともに考えられるのではないか、という示唆もあった。最後にPaul Jobinの論文でも概観したように、水俣病事件は当時の公害問題をめぐる議論に影響を与えていただけでなく、1990年代以降の表象不可能性や許しをめぐる議論にも通じている。以前に話題にあがった神話の問題を掘り下げられなかったことは悔やまれるが、仏教だけでなく、キリスト教の信仰の問題が、天草という土地と結びつく形で現れることを確認できたことは、次回以降の議論にもつながると思われる。引き続き、テクストを丁寧に読みつづけてゆきたい。

 

報告:髙山花子(EAA特任研究員)