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2022.03.31

【報告】ジャーナリズム研究会第七回公開研究会

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2022年320日、ジャーナリズム研究会の第7回公開研究会がZoomにて開催された。

 最初の講師は陳萱氏(致理科技大学副教授)であった。本発表「「台湾事件」における台湾像の形成―新聞メディアの表象をめぐって」は、氏の単著に基づいており、「台湾事件」に関する新聞報道から明治前期の台湾表象を抽出する、充実した内容だった。

 冒頭では「台湾事件」の概要が確認された。1871年、台湾に漂着した琉球民を先住民が殺害した事件を発端として、1874年に西郷従道が台湾出兵、日清両国の調印までを丹念にたどった。氏は次に、事件に対する日本政府の対応の変遷を、当時の諸新聞および日本政府側の文書「蕃地事務局録事」等を通して詳らかにし、出兵の目的が問罪の点では一貫している傍ら、揺れもみられるとまとめた。

 

 

最後に、『東京日日新聞』に連載された岸田吟香の従軍記「台湾信報」が取り上げられた。氏は本従軍記が台湾イメージの原点を形成したと提言した上で、台湾は未開地ながら植民地として統治可能という品定めの視線と、先住民は野蛮ながら教化可能という評価の姿勢が表れていると指摘する。時間の関係で台湾表象の分析に関する後半部分が急ぎ足になってしまったが、その分はブックレットなど別の機会に補いたいとのことであった。

 発表後には、吟香と同じく従軍取材したE.H.ハウスの台湾観と対比するとどうか、報道への反響は国内のどの層からあったのか、また前近代の台湾像はどう変化したか、質疑応答が交わされた。

 

以上報告者:鶴田 奈月(東京大学大学院博士課程)

 

 

10分の休みをはさんで、アメリア・ボネア氏(ハイデルベルク大学研究員)による二番目の研究報告「Trans-imperial journalism and technologies of communication in nineteenth-century South and East Asia」が開始された。Eugenia M. Palmegiano賞を受賞した単著に基づき、19世紀インドの事例を取り上げながら、技術、社会的経済的状況、および新聞の発達の関連について考える本発表において、氏は、まず、技術の発展に新聞が受けた変化に着目した研究の多くがアメリカの事例に基づいた記述となっているが、他の地域では必ずしも同様の展開が見られるわけではないこと、技術のみによってメディアの変化が生じるわけではないこと、社会的な状況や技術の用いられ方に目配りする重要性を指摘する。続いて、当時、電信が一つの都市から別の国の都市に送られる場合、いくつもの電信局や汽船を介して異なる国の電信会社を通して届けられていた様子を、統計、地図、電信符号などを示しながら具体的に説明していった。

 

 

ジャーナリズムと技術の展開には、社会的な側面も関与してくる。インドでは植民地行政局の力が注目されがちだが、実は商人が電信の新聞への活用を最も積極的に推進しており、彼らの関心から情報の正確さが求められた。また、その新聞への取り入れ方は、汽船を介してもたらされた従来の情報の扱いを踏襲したものだった。電信に基づく新聞の情報は年を追うごとに増え、新聞のレイアウト自体にも影響を与えたが、その内容は政府により統制を受けており、宗主国内のニュースや国際情勢の話題が主に取り上げられる傾向にあった。この点、当時の日本の場合は、政府により情報が制御されていた点では共通しているものの、インドよりも様々な通信社が参入していたため情報源が多様であり、国内情報の重要性が大きいなど、植民地支配を受けていないことから生じる相違点も多々あった。情報とは複数の要素が関与するコミュニケーションの複雑なシステムであることを強調し、氏は話を結んだ。

英語による発表に続き、英語と日本語で行われた質疑応答では、電信が新聞に与えた影響の国や言語による違い、電信の導入における言語的特性の影響、情報の流通における英語帝国主義的な側面、国ごとの通信社の契約状況の違いなどが取り上げられた。

 

 

今回もZoomを用いての開催となったが、リモート開催の利点を生かし、台湾とドイツから講師を招き、19世紀の東アジアと南アジアの事例について対照しつつ考える機会を持つことができた。研究会後のオンライン懇談会では、以前本会で発表してくださった方も参加し旧交を温めた。

 

以上報告者:前島 志保(東京大学大学院総合文化研究科 教授)

以上本報告監修:前島 志保