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2022.07.13

【報告】水俣巡礼

2022年625日から27日にかけて、UTCPと合同で熊本県水俣市への巡礼に向かった。到着日に降った異例の大雨と、その後の二日間の快晴の中で、期間は短いながらも非常に充実した日々であった。今回の巡礼には主に三つのイベントがあった。一つは水俣市の各地にある水俣病に関わる場所を巡ること、一つは永野三智氏と伊藤悠子氏の対話イベント、一つは「水俣ダイビングサービス SEA HORSE」の方々との交流である。

乙女塚、茂道漁村、湯堂漁村、百間排水口、チッソ水俣工場前、水俣病センター相思社。水俣病に関係する場所の全てを巡ることはできなかったが、ここに挙げた幾つかの象徴的な場所を巡ることで、かつてそこで引き起こされてしまった悲劇に思いを寄せ、ささやかながら祈りを捧げることが出来た。その一つ一つについて、筆者自身、まだ上手く語る言葉を持てないでいる。これまで様々な方々が困難な状況の中で水俣を語ってきたことに、改めて深い敬意を感じる。そして、水俣を語るという営みの中で、水俣病センター相思社(以下、相思社)と、そこに併設される水俣病歴史考証館(以下、考証館)が持つ役割は非常に大きい。

湯堂漁村

相思社は、1974年に水俣病の裁判を闘った患者たちの声を受けて創設されたという。当初は裁判や座り込みをする患者の支援を行なっていたが、1995年以降は「水俣病を繰り返さない世の中をつくる」ために、考証館の運営、患者からの相談への対応、書籍や教材作成、機関紙発行、22万点の水俣病関連資料の管理と活用、web上での発信、ツアーのコーディネートと実施、講演会やシンポジウムの実施、被害地域の無農薬および低農薬柑橘の販売など、幅広く活動している。

水俣病を語り伝えることは公的機関も行っていることではあるが、相思社及び考証館は、それとはまた別の視点で、患者や被害地域の方々が実際に持っていたものを収集し、その整理・公刊を継続的に行なっている。過去の資料を研究する1人の研究者として、非常に迫力を感じる営みであり、水俣病の歴史を考える上でも、そして自分自身の学問を問い直す上でも、大変貴重な機会になった。

相思社前の坂道

二日目にUTCP主催で行われたイベント「〈哲学×デザイン〉プロジェクト35 in 水俣 「痛む人々のこえを聴く」」は、その考証館の一室で開催された。心に重くのしかかる話題でありつつも、対話者たちの良きパーソナリティもあって、笑顔も見られるイベントとなった。オンラインでも多数の参加者がおり、大変充実したイベントであった。

イベント後の記念撮影

以上に加えて、三日目に行われた「水俣ダイビングサービス・SEA HORSE」の方々との企画についても、ここに書き記したい。これはEAAの張政遠氏が代表の森下誠氏と連絡を取る中で立てられた企画で、森下氏に実際に海に潜ってもらいながら、水中カメラを通して水俣の海についてご紹介頂いた。

森下氏水俣で生まれ育ち、その後県外で仕事をしたのち、再度水俣に戻り、現在は海に潜りながら水俣の海を発信することに尽力されている。日々水俣の海に潜り、海中の調査、そして様々な生き物たちとの交流や撮影を行なっている。中でも力を入れているのは、会社名に刻まれる「sea horse」、つまりタツノオトシゴの撮影である。タツノオトシゴにも様々な種類があるが、森下氏が撮影するのは2017年に新種として登録されたヒメタツである。

注目されているのはその出産であり、ヒメタツはメスが生成した卵をオスが受け取り、受精させたのち、出産もオスが行うことになっている。そして、メスが卵を受け渡すとき、オスとメスはハートの形を作り出す。これを見に森下氏のもとには、日本各地からダイバーが訪れているという。

水俣の海はかつて有機水銀が大量に流されたことにより、死の海としてのイメージが広まってしまった。それに対して、ヒメタツの出産の現場、すなわち生の現場に注目することで、森下氏は死の海から生の海へと、イメージの転換を試みている。重症患者が頻発した時期から時間が経ったとはいえ、今なお水俣病は様々な形で地域やそこに生きる人々に影を落としている。その水俣を活発にしようという強い思いが感じられた。

森下誠氏

一昨年度と昨年度にわたって、EAAでは石牟礼道子の文学を読む会が続けられ、筆者もその一員として石牟礼道子の文学を読んできた。文学作品、或いは漫画・アニメ・ゲームのファンの間では、作品の題材となった場所を巡るという所謂「聖地巡礼」という楽しみ方がある。石牟礼道子の文学にもそのような「聖地」があるが、特に『苦海浄土』のような作品の場合、たとえそれがノンフィクションではなかったとしても、実際に、そして今から遠くない過去に起きたことと強く結びついている。その点で石牟礼文学の「聖地巡礼」は簡単なことではない。今回の経験を引き受けた上で、今後石牟礼道子の文学をどう読むのか。彼女の文学に関わる1人として、引き続き考えたいと思う。

 

報告者:建部良平(東京大学博士課程)