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2021.06.07

【報告】第2回「部屋と空間プロジェクト」研究会

「部屋と空間プロジェクト」研究会は、我々にとって最も身近な「空間」である「部屋」という概念を手掛かりに、EAAメンバーの関心に共通する点を取り込みながら、「部屋」に関する様々な文献を皆で読み進め、新しい学問を提示できないかという思いで発足したものである。第2回研究会は、202163日(木)1500よりオンラインで行われた。研究会ではまず、前野清太朗氏(EAA特任助教)が今回の報告の主役でもある「文化アパートメント」があった御茶の水付近の地図を示し、都内に残る戦前のアパートの遺構について説明を行った。その後、田中有紀(東京大学東洋文化研究所)が、大正時代の住宅論として、第1回に引き続き、有島武郎・森本厚吉・吉野作造著『私どもの主張』(文化生活研究会、1921)をとりあげ、森本厚吉(1877-1950)の論考(「経済問題の根本義」「生活権の主張と其責任」「新婦人と文化運動」)を分析した。参加者は張政遠氏(東京大学総合文化研究科)、柳幹康氏(東京大学東洋文化研究所)、高山花子氏(EAA特任助教)、宇野瑞木氏(EAA特任助教)、片岡真伊氏(EAA特任研究員)、高原智史氏(EAARA)、滕束君氏(EAARA)、伊野恭子氏(EAA学術専門職員)、孔詩氏(人文社会系研究科)であり、外部からも2名参加した。

 

 

森本厚吉は1877年京都で生まれる。1894年、東京東洋英和学校を卒業し、札幌私立北鳴学校で学んだ後、札幌農学校に進学して、有島武郎と出会う。のちジョンズ・ホプキンズ大学で消費経済学を学び、1916年に論文「The Standard of Living in Japan(日本の生活標準)」で博士号を取得する。1918年に北海道帝国大学農科大学に着任した。1920年、能率的生活を目指す「文化生活研究会」を設立、1925年にはお茶の水に日本初の鉄筋コンクリート5階建ての「文化アパートメント」を建設した。北海道帝国大学を退職した後、1928年に女子経済専門学校(現・新渡戸文化短期大学)を設立し、晩年は女子経済教育に専念した(参照:森本厚吉伝刊行会編『森本厚吉』、 河出書房、1956)。『私どもの主張』は、文学(有島)・経済(森本)・政治(吉野)の三分野から、「文化生活」について論じたもので、三人が関西で行った講演の記録である。森本にとっては、「文化生活研究会」を設立した直後の講演であり、彼の消費経済学研究を実践に移していく過程が垣間見える。

報告では森本の三論考の内容を紹介した後、先行研究を紹介した上で、『滅びゆく階級』(1929)と『アパートメント・ハウス』(1931)をとりあげ、森本の「中流階級」という概念、欲望の分類と適切な養い方、能率的生活の内容、アメリカの生活にならう理由について読み解いた。そして森本にとって「文化」とは何かについても考察した。「文化」には刑罰ではなく礼楽などによって人民を教化する「文治教化」の意味と、ドイツ語のkulturに由来する、自然を変え人間の理想を実現し、学問や藝術などを生み出していく過程という意味がある。後者の意味が日本に普及したのは大正時代からであり、のち、西洋式生活に追随するだけの安易な「文化」という意味も加わるようになった。「文化住宅」などの「文化」はこれに当たるとされる。Kulturに由来する大正時代の「文化」の語は、三木清によれば、明治時代の啓蒙思想に対する反動として登場した大正時代には教養思想を代表するものである(参照:柳父章『一語の辞典:文化 』、三省堂、1995)。森本が、社会の不平等を批判しつつも急激な改革は望まず、また女子教育を重視するも婦人参政権を積極的に肯定しないのは、このような、反政治的な教養としての「文化」を意識しているのではないか。しかし、彼は軍国主義を批判し、「武」の政治ではなく、能率的生活によって人々の意識を変える「文化」(文によって化す、漢語的ニュアンス)ことを目論む以上、結局のところ政治的である。また、Kulturの原義に遡れば、能率的な道具や機械を備え、人間社会において最も進歩した行動形式である「共同」生活で、経済的に暮らせる「アパートメント」は、森本にとって、人類が行き着いた、最も理想的な「文化」的な生活なのではないか。

 

 

討論では、能率的な生活が実現すれば生活に余裕が生まれ「なまけられる」はずなのに、森本が大正の人々は「なまけてはいけない」と考えたのは何故かという問題が提起された。また、森本が生活という「卑近」なところから、身体に能率性を徹底的に備え付けていくあり方について、1930年代から始まる蒋介石の「新生活運動」や、さらには高遠な「朱子学」に対して身近なところから思想的実践を行おうとした江戸時代の儒学者たちを想起させるという話題や、震災で街が破壊され欧米式の街に生まれ変わることを期待するも、それによって失われた日本家屋の「陰影」を礼讃した谷崎潤一郎が話題に上った。

森本は、「非能率的な」古い習慣から解き放たれ、新しい「能率的生活」を習慣化することで、人間はむしろ本来の状態を回復でき、これまで以上の力を発揮できると考えた。それでは、「能率的生活」の後には、どのような理想的世界が開かれているのだろうか。ここからは先は、彼の唯一無二の親友、有島武郎の思想を読み解かなければならないだろう。次回の「部屋と空間プロジェクト」研究会は、有島のテキストを分析する予定である。

 

報告:田中有紀(東洋文化研究所)