ブログ
2021.05.18

【座談会】明日の学問を試みる ― 2020年度の活動を振り返って (下)

【座談会】明日の学問を試みる ― 2020年度の活動を振り返って (下)

「【座談会】明日の学問を試みる ― 2020年度の活動を振り返って (中)」はこちらよりご覧ください。

 

 

産学協創と「空気の価値化」

 

石井:夏ぐらいから秋以降になると、新しい産学協創モデルをいかに構築していくのかという課題について、かなりさまざまな模索と取り組みが行われました。

 とりわけ、ダイキンと東大の産学協創における一つの大きな目標に、「空気の価値化」がありますけれども、それを一つの思想としていったいどのように具体化していくのか。中島さんが「花する空気」という言葉を生み出したのはその一つの答えですね。また、ダイキンの方々と産学協創の新しいかたちを模索する具体的な取り組みも行われていきました。

 

中島:きっかけは「Look 東大」の中で「EAA デー」が設定されたことですね。それまでダイキンの「Look 東大」は、理系の共同研究に向けて東大の研究室を訪問するということだったのですが、それだけでは、産学協創の大きな方向性を表現するには不十分だという思いがあったようです。ダイキンの方々からもEAA に対する期待がたいへん大きいと感じるのですが、単に共通の課題を設定して、それをシェアすれば済むかというと、そうじゃないと思ったわけです。そうじゃなくて、学問のあり方自体を考えなおそうとしているEAAらしく、一歩踏み込んで、企業との協創関係自体も新しいやり方でやってみようとしたわけです。

 8 月にまず若いダイキンの社員の方々とEAA のプログラム生を集めて、東文研でマルクス・ガブリエルさんとわたしが出した本(『全体主義の克服』、集英社、2020 年)を手がかりにやってみました。でも、単にその本を読むというのではなく、その本を通じて皆さんそれぞれがどのような問いを持って時代と切り結んでいこうとしているのかを問うてみたわけです。その後、EAA のリサーチユニットの伊達聖伸さん、國分功一郎さん、武田将明さん(いずれも総合文化研究科)という3 名の方々に徹底的に新しいかたちで議論を積み重ねていただきました。

 そういった背景の下、「空気の価値化」という大課題をやはり私たちなりに受け止めなければいけないと思ったわけです。

 価値の問題というのは、本当は学問が真正面から問わなければいけないのですが、中立性、あるいは科学性を強調することによって、価値に対しては、ある距離を取るというのがやはり主流だと思うんですね。案外、価値は脇に置かれてしまっているわけです。もちろん、特定の価値を振りかざして、この価値が素晴らしいんだと言うだけでは、学問として成り立たないわけですけれども、価値自体の概念化はやはりやっていかなければいけないだろうと思います。しかも、価値ではなくて、「価値化」と言っているわけです。価値はいったいどういうプロセスをたどって登場するのか。これはきわめて哲学的な問いでもあろうかと思います。しかも、そこに空気という、これは古来、西洋でも東洋でも、世界の最も基本的なエレメントの一つとして数えられてきたものですが、それを「価値化」していくというテーマが与えられているわけです。

 空気のある種のコモディティー化、商品化によって、良い空気、質のいい空気を生み出せばいいのかというと、そんな単純なことではありません。ある場所の空気をきれいにするということは、別の場所に汚いものを放出するということであり、あるいは、熱を生み出してしまいます。そうすると、地球温暖化という大きな文脈では、やればやるほどマイナスになるわけです。そのことをダイキンの中心にいる方々は痛いほど分かっているわけです。ですから、一緒に議論していく中で、わたしたちが本当に考えなきゃいけないのは何なんだろうという話になりました。ヒューマン・コンディショニング、つまり、人間の条件に関与して、それを豊かにするような試みが空気を通じてできないだろうか、それこそがまさに新しい価値を生み出すのではないだろうかと思います。わたしはあえて「花する空気」という、日本語としてはあまりに耳になじみがない言葉を使ってみました。井筒俊彦がイランの研究をしていく中で、「存在が花する」という、非常に示唆的な表現をわれわれに届けてくれました。何かがflowering、flourishingしていくという表現は、単に可能性が実現するということだけではなくて、わたしたちのそれぞれのありようが、自分たちだけではなく、その周りの条件も豊かにしながら、「花し」ていくことを意味します。こういう状況をつくることができないだろうかと考えたわけです。空気に焦点を当てるということは、空気を商品化することではなくて、それをわれわれのコモンズとして共有していくことだろうと思います。それによって環境問題にも貢献できるような、そういう道筋を作る。それが、ひいてはヒューマン・コンディショニングにもつながっていくだろうという提案をしました。ダイキン-東大産学協創協定の枠組みの中でも、ある程度のインパクトを持って迎えられたのではないかと思います。

 大学も単に企業の資金を利用するのではなく、大学と企業が一緒になって社会をよりましなものにしていく。その足場をつくるためにも、こういう概念化というのはたいへん必要だと思います。

 わたしたちは、この秋学期に、この産学協創関係の中核のみならず、現場の教員や社員、そして学生までも巻き込みながら、パフォーマティブなしかたでEAA の運動を共有していただきました。これこそは新たな産学協創のモデルの一つになるのではないかと思っております。

 

張: 空気の話で言うと、空気の温度ではなくて、空気の爽やかさということが重要だと思います。これについては、和辻哲郎が『風土』の中で、「我々は空気の爽やかさにおいて我々自身を了解している。爽やかなのは己れの心的状態ではなくして空気なのである」と言っています。だからこそ「いいお天気で、いい陽気になりました」というあいさつをするんですよね。これはきっとヒューマン・コンディションということにつながっていると思います。

 

王:空気についてわたしが考えたのは、カール・シュミットが昔、『大地のノモス』の中で定義した3 つのエレメントのことです。シュミットにとって、陸(ロシアを代表とする)と海(イギリスを代表とする)は、それぞれ今までの世界の中で別々の国民国家が代表してきた2 つのエレメント的な政治的構造です。そこから戦争と平和の枠組みや、普遍性の概念、人間性についての多くの規定などが生まれました。それに関連して、価値と見なされているものは、海を代表的なエレメントとする国民国家と陸を代表的なエレメントと見なされている国民国家とでは別のかたちで規定されていたと思います。

 ところが面白いことに、シュミットは、空気という第三のエレメントについてあまり話していません。シュミットにとって、20 世紀に空気というエレメントがもたらしたのは、単に戦争、あるいは国際的内戦に等しいものでした。なぜならば、空気は彼にとって、境界がないことに等しいものでしたから。したがって、空気を基本的な枠組みとしてどうやって線引きすべきかということが今後問題になるかもしれません。

 これは新しい世界を創造することに通じています。EAA はただ東アジアに限定して思考するのでなく、東アジアから発する想像力に寄与しようとしているわけですから、この問題にも当然関わってきますね。国家のリミットとか、近代の想像力のリミットなど、多くのリミット(境界)を取り払いながら、しかも空気というエレメントを基本的な手がかりとして新しい世界を創造していくことがこれからの課題になっていくかもしれません。

 

 

明日の大学像を目指して

 

石井:総じて、この一年の間、わたしたちはパンデミックという共通の経験を受け身でとらえるのではなく、その中から、その次の時代を見据えた新しい学問を模索するべきだと考えながら、文字どおりパフォーマティブにやってきたと言えますね。

 その次の時代にはさまざま世界的な課題が山積しています。気候変動、テクノロジーと人間の関係などなど。その中で人間の条件を問い直す、ひいては、人間そのものを再定義する必要があるだろうということですし、そのプロセスにおいては、やはり価値という問題にどこかでぶつからざるを得ない。価値という概念をもう一度つくっていくべきだろうということですね。2020 年度のEAA の活動のひとつひとつが、こうした未来に備えた動きに直結していたとわたしは考えています。

 そして、EAA が存在することができているのはこの大学という場においてですね。しかし、大学という場それ自体が新しい変化を迫られた1 年でした。冒頭に中島さんから「社会的想像力」という言葉を出していただきましたけれども、大学自体が新しい変化を可能にしていくための社会的想像力を鍛える場であるという基本的な位置づけを再確認しつつ、EAAは大学の中で独自の役割を果たしていくべきであるとずっと考えながら、わたし自身はこの一年をがむしゃらに過ごしてきました。

 来年度以降はもう少し違ったフェーズに入らなければいけないと思います。経験をさらにより明確な理念のほうに昇華していく必要もあるでしょうし、同時に新しい具体的なチャレンジもさまざまなかたちで出てくるでしょう。その中で、いったいわたしたちはどこへ向かっていくのか、新しい課題はどこにあるのかを、中島院長にお聞きしたいと思います。

 

中島:この秋学期は、石井さんと一緒に、大学についてもう一度考え直してみるプロジェクトにも参画していました。その中で本当にいろんなことを考えさせられたのですが、その一つの中心にある問いは、知性の問題だという気がします。わたしたちはいったいいかなる知性を大学において花開かせようとしていくのか。今の大学のあり方は工学化しているという気がしています。ある種の計算と実験によって、評価がそこに浸透していくような、そういった知性のあり方で本当にいいんだろうかと大きな疑いを持っております。

 工学的な知のあり方において、自分たちが世界を工学的な見方で埋め尽くしたこと自体に対する反省が実はあまりないですよね。それは知性のあり方として不十分ではないでしょうか。工学的な知のあり方自身がヒューマン・コンディショニングに多大な影響を与えているにもかかわらず、自己反省の契機が非常に乏しいこと自体がわたしは大問題だと感じます。そうじゃなくて、知性というのをもう1 回考え直してもいいんじゃないか。知性という概念の歴史をたどっていくといろいろ出てくるわけですけれども、わたしたちが知性の下にどういう概念をもう1 回問い直していくのかをくり返し考える必要があると思います。

 

田村正資(EAA特任研究員):すべてが工学化されていくことでは回収できないアクチュアルな課題はたくさんあるとわたしも感じます。コロナに関しても、正直、大学は対応がすごいうまくいった側の場所です。一方で、実際にコロナの影響を人生の一大事として受け止めざるを得なかった人たちがどう考えていたかについて、情報はたくさん入ってくるけれども、それを学問としてどのように受けとめるべきでしょうか。これは人工知能とかをどう考えるかということにもつながっていくと思います。

 

石井:これは、工学に対する批判ではないし、拒絶ではもっとないですね。わたしたちは、工学的にもたらされたテクノロジーの恩恵を受けることによってこの一年を過ごしてきたわけですし、工学的な知の重要性はもとより強調するまでもないことです。わたしたちが、とりわけ「文系」と一般に称されている学問に従事しているわたしたちが取り組むべきなのは、工学的な知とそうではない知性とをどのように有機的に結びつけるのかを真剣に、そして、実践的に考えることです。そこで重要になるのは、総合的な知性の基礎に位置づけられるべきものとして、哲学を再定義することだと思います。そして、そうした有機的な結びつきが可能になるのは、ある種のスペース、「場」としての大学の役割を考えなおすことです。産学連携においても、そうした「場」を大学と企業が両面で支えていくような仕組みがあっていいと思いますし、先ほどの「Look 東大」と「空気の価値化」はそのための試みの第一歩だと言えます。

 

中島:求められるべき知性について考える場合、今日もくり返し参照された、ジョルジョ・アガンベンの「生の形式」というのは、たいへん重要な概念だと思います。彼は、「いと高き貧しさ」とも言っています。これは今日的なある種の価値でもありますが、同時に古い概念でもあります。そういったものを捉え直す知性をEAA が前面に出していくことが改めて必要でしょう。そのためには、古い概念の徹底的な読み直しが必要だと思うんですね。古いものをただ持ってきてもしょうがなくて、それをアクチュアルなしかたで読み直していかなければいけないと思います。そういうことを来年度以降、少しでも意識できれば、EAA の活動がさらに花開いていくんじゃないかと思っております。

 

 

おわりに

 

石井:そろそろ終わりの時間です。オフィスを支える立石さんと伊野さんからもぜひ一言いただけますか。

立石はな(EAA特任研究員):オンライン化された今年は皆さんの写真を撮らせていただく機会がすごく減りました。その中で、若手の方たちが企画したブックトークは屋外で行われると聞いて、写真を撮らせていただきました。でも屋外でも皆さんマスクをしていらっしゃるんです。それでも皆さんが活動している姿を少しでも撮りたいと思って、ちょっと粘って撮り続けてみると、マスクをしていても、表情は伝えられるんだなとわかってきました。こうしてマスクをして、折り畳み椅子を屋外に持ち出してでも対話を続けていたことも、大切な歴史になるはずです。そういう記録を残すこともEAA の魅力を増すものになると思います。

 

伊野恭子(EAA学術支援職員):EAA にコロナの第一報が届いてから一年、この間に私たちは教育・研究活動をいかにできるか挑戦し続けてきました。これはウィズ・コロナにおいても、ポスト・コロナを考える上でも、大きな希望になったと思います。この経験をしたからこそ得られたものが、リベラル・アーツとしての東アジア学の構築に今後どのように活かされていくか楽しみです。

石井:では、最後に院長からメッセージを頂戴できますか。

中島:一年を振り返るということですが、単なる振り返りじゃなくて、皆さん自身が、自分たちが関わったことをもう一回文脈化して位置付け直していく、これ自体が学問のあり方ですね。そこにやっぱり意味があると思います。このようなプラットフォームを維持し続けることが今後、コロナの時代におけるEAA の重要な役割だと思います。

 ただ、皆さん、肩に力を入れるだけじゃなくて、ぜひ肩の力を抜くこともやってください。しばらくこのパンデミックは続くと思いますし、人生にはどうにもならないときというのはあるものです。そのときはやり過ごすことも大事です。だから、何かを前へ前へやるだけじゃなくて、引いてみるとか、スペースを空けてみることもとても大事です。そういう臨機応変さもぜひわれわれは身に付けて、しなやかにやっていければと思います。今日は本当にありがとうございました。