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2021.05.18

【座談会】明日の学問を試みる ― 2020年度の活動を振り返って (中)

【座談会】明日の学問を試みる ― 2020年度の活動を振り返って (中)

「【座談会】明日の学問を試みる ― 2020年度の活動を振り返って (上)」はこちらよりご覧ください。

 

 

教育プログラムの発足

 

石井:2020年度は、教育プログラムとして「東アジア教養学」が発足した年でもありました。学部生向けの全く新しいプログラムですね。

 

王:わたしは2つのコア科目である「東アジア教養学理論」と「東アジア教養学演習」をSセメスターに担当しました。

 まず、全体的に言えば、「理論」と「演習」には共にTAセッションが付いていますが、今まで東大で行われてきた学部生向けの教育においては、とても斬新な実践ではないかと思います。 TAセッションでは、博士課程に属している3人のリサーチ・アシスタント(RA)が中心的な役割を果たしています。彼らが学生のディスカッションを導いて、テーマに沿った議論を展開していくのは、なかなか興味深いと思います。言うまでもなく、アメリカの大学、例えば、わたしが以前属したニューヨーク大学ではMAP courseと呼ばれるいわゆるコア科目は、レクチャーとTA セッションのセットで行われます。しかし、EAA のTAセッションは、アメリカの大学のやり方とは異なっています。というのも、EAAのTAセッションにおいては、多言語の環境が避けるべきものであるどころか、むしろ、不可欠な条件になっているからです。つまり、日本語と英語と中国語、この3 つの言語の間を絶えず行き来しながら、言語と思想のコミュニケーション、あるいは、ディスコミュニケーションが可視化されるのです。もちろんこれはRAさんにとっても、学生さんにとっても、なかなかハードルの高い練習かもしれませんけれども、いや、むしろ、だからこそ、避けられないディスコミュニケーションやミスコミュニケーションこそがEAA の中心的な理念―教員自身が、自分自身がわからないものを学生に教えるという―にぴったり当てはまっていると思いますね。つまり、実証的な知識、疑いのない知識、あるいは、概念的に安定している知識を何か宅配便のように学生の所へ運ぶのではなく、常に不穏な思考、言語という物質にぶつかっている思考のアポリア(難問)に陥りかねない思考を学生に共有していくというのは、EAAで実践されている教育の特徴だと思います。

 「理論」と「演習」のちがいについて、まず、「理論」の授業には、必ず2 人の先生が教室にいて、あるテーマについて対話しながら、学生に考えさせます。ここではあるテーマに関する学問上の議論の幅広さを学生さんに示すことがポイントだと思います。例えば、モダニティをテーマとして出します。1週間どころか、1年間をかけても、このテーマに関する基本的な文献を読み尽くすことはできないかもしれません。「近代とは何か」と題されている本やエッセーには枚挙にいとまがないですね。そこで、この授業でわたしたちがやるべきことは、無理やり学生に多くの文献を飲み込ませるより、むしろ文献を思考の手掛かりとすることです。そして、教員による対話という生々しい形で学生にヒントを提示して、例えば「モダニティ」に関する学術的言説の可能性や問題点を彼らに示すことが大事だと思います。

 これに対して、「演習」のポイントは、一つのテクストを徹底的に精読する方法を教えることにあると思います。EAAは研究者と学生が一緒にテクストを読んで、一緒に新しい問いを問う場所であるべきです。新しい問い方をするためには、やはり正しい読み方を身につけないといけません。言い換えれば、日常生活において、われわれが当たり前だと思うこと、自然だと思うことを疑問視して、初めて新しい問いを問うことが可能になります。われわれは日常生活でさまざまな文脈のなかでさまざまなテクストを読まされています。「演習」の授業で読まれているテクストはクラシック、あるいはモダンクラシックですが、「演習」の狙いは、それらのテクストを精読することによって、その中に潜んでいるたくさんの可能性を探すことです。是非を問うのではなく、読む方法を身につけさせるのです。端的に言えば、「演習」で選ばれているテクストは、いろんな意味で、今われわれが生きているこの世界をもたらしてきたものである一方で、別の世界の可能性を常にわれわれに提示しています。したがって、あるテクストを読むことは、われわれの生き方、あるいは、「生の形式」に関わっているとわたしは思います。

 総じて言えば、「理論」も「演習」も答えを出す授業ではありません。逆です。自分の生活に対して、または目下大いに議論されている社会的問題に対して、いろんな角度から疑問を呈することを促し、自分自身の生き方の根拠やアイデンティティーの基礎まで反省することを促し、時々、ディスコミュニケーションやミスコミュニケーションも起こす場です。コア科目だけでなく、EAA全体がそういう場所を提供できるとわたしは信じています。

 

石井:先日(2021年1月19日)、 TAセッションを支えてくれたRAの皆さんと一緒に1年間を振り返りました。その中でも、多言語性に関して、たいへんよかったという意見がたくさん出てきました。もちろん多言語性は、運営上においては大きな困難があるとも同時に言っていました。しかし、その困難を簡単に技術的に解消するようでは意味が失われますね。

 特に、Aセメスター以降は、北京大学から、オンラインですけれども、留学生を4名迎えています。多言語性やバックグラウンドの多様性がより高まりました。

 

張:わたしは、Aセメスターにコア科目を担当しました。対面とオンラインを併用するいわゆる「ハイブリッド方式」によってです。

 このハイブリッド方式には、まだ試行錯誤が必要で、これからも考えないといけないと思います。しかし、101号館のセミナー室に新しい機材が導入されていたので、僕は、非常によかったと思います。場合によっては、オンラインにもオンラインの良さがあります。でも、少人数になると、できるだけハイブリッド、あるいは対面のほうに移行するということを、これからは柔軟に対応していくことが、今後必要になるでしょう。

 

石井:ハイブリッド方式ということで思い出されるのは、やはり北京大学と行ったサマー・インスティテュート(9月7、8日)ですね。前日のアイス・ブレイクも含めて、3日間は東大の参加者がほぼ全員会場に集合しました。教養学部ではAセメスターになって一部の授業がハイブリッドで行われましたが、わたしたちはそれに先んじて実施したわけです。その中でとても印象的だったのは、前期課程1 年生からの唯一の参加者が、「これが東大なんですね」と言ったことですね。Sセメスターは完全オンライン授業で、クラスのメンバー全員と対面で会うこともないままだった新入生にとって、このイベントが「生の東大生」に初めて本格的に遭遇する場になったのです。彼女がそう言ったときのうれしそうな顔は忘れることができませんね。

 オンラインによる授業が可能だと示されたことは、たしかにパンデミック下で大学教育が学んだ大きな収穫でしたが、それよりも大きな収穫は、オンラインでは、人間の文化を育むという大学にとってより根本的なミッションが達成できないのだと思い知らされたことでした。このサマー・インスティテュートでは、アガンベンのテクストを扱いながら、動物的な生とは異なる人間的な生について活発な議論が展開されましたが、まさに後者の意味において、人と人とが直に触れ合うことが文化の決定的に不可欠な要素であることを、大学が、とりわけ「文系」と称されている学問が実践的に示すことがたいへん重要です。

 このパンデミックの経験自体は、誰にとっても全く新しいものだと言っていいと思います。ですから、経験自体の意味を問い直す必要があります。そのためにはまた、歴史を振り返る必要があるでしょう。全く新しい経験という点では、誰も答えを持っていない課題に直面している以上、教員も学生もなくいっしょに考えていくべきです。そこでサマー・インスティテュートにおいては、「感染症流行の見聞と経験」というテーマを設定しました。また、A セメスターには、北京大学とオンライン・ジョイント・コース「East Asia and the World under the Pandemic」を開講したのですが、そこでは、今日起こっている現象をアカデミックに相対化すると共に歴史的な意味を捉え直そうとしました。そこには北京大学と東京大学の学生のみならず、ニューヨーク大学、オーストラリア国立大学、ソウル国立大学や国際研究型大学連合(IARU)の大学からも聴講生を募りました。

 この授業ではまた、Panoptoというオンデマンド教材の作成と配布にすぐれたプラットフォームも導入して、反転授業を行いましたね。オンデマンドの講義ビデオをPanoptoを使って見てもらうと同時に、必ず1 週間に1時間、ZoomもしくはTencent を使ってみなが集まって相互に議論をするという試みです。これも国境を越えて、わたしたちにとって喫緊の学問的課題を相互に議論するプラットフォームを構築する取り組みとしては、それなりに意味があったのではないかなと思いますね。

 

張:このPanoptoに関しては、EAAが東大で真っ先に導入してきたことをたいへんよかったと思います。前任校でもPanoptoを経験したことがありました。Zoomに依存することはやはりよくないとわたしは思います。Panoptoを導入することによって、新しいやり方をこれから積極的に導入して、柔軟に新しいことを試すべきだと思います。

 

 

災害の文学と東アジア

 

石井:ここで感染症シリーズの話に戻したいと思います。「感染症の哲学」ワークショップのあとに、文学、歴史学など人文学の角度から感染症という現象に対して考察を加えていったほうがいいとおっしゃったのは、張政遠さんでしたね。

 

張:もともと「感染症の哲学」の話は、石井さんのアイデアだったと思います。最初は「コロナウィルスと哲学」という、コロナ限定の考察というアイデアだったと思うんですけれども、そうじゃなくて、もっとより広い立場、広い観点からいろいろ考え直すということで、「感染症」に変更しました。それが非常に重要だと思います。つまり、今回のコロナウィルスについてはまだわかっていないところがいっぱいあるので、目の前にある現象をその場に沿って考察することも重要だと思うんですけれども、そうじゃなくて、かつてあったさまざまな感染症の経験をやはり検討しないといけないと思います。

 香港の場合、2003年のSARS に関する記憶があります。その後、MERSもありました。感染症は国境を簡単に超えますし、やはりいろんな政治的な側面もあります。そこで、感染症という経験は、結局、哲学だけじゃなくて、文学という側面もたいへん重要だろうというふうに思いまして、わたしは、「感染症の哲学」では「疫災後文学論」という発表をしました。狭い分野の哲学だけではなくて、文学や批評という相において考えないといけないと思ったからです。ところが、「感染症の哲学」は男性だけの研究会だったので、「感染症と文学」(8月26日)は、女性による発表をそろえました。

 12月26日のワークショップ「感染症―歴史と物語のはざまで」での話になりますが、だいじなのはやはり物語だと思います。つまり、コロナの現象とともに、いろんな忘れられている物語があるかと思いますので、その天災と人患を忘れないために何をすべきか。それもEAA のこれからの仕事のひとつだとわたしは考えています。

 

石井:感染症関連のイベントからは、災害そのものの経験がもつ人文学的な意味を問い直す方向へ関心が発展していきます。これは、張さんの「疫災後」というキーワードが重要なきっかけとなったと思います。こうした関心からスピンアウトするように始まったのが、石牟礼道子のワークショップですね。これはオンライン型の連続読書会として企画されました。

 

髙山:ワークショップを2回開き、現在、論集を編集しているところですが、振り返ると、ここまで広がりが出るとは予想しておりませんでした。もともとは、過去から何か学びたいという思いから、古今東西の文学テクストで感染症や疫病がどのように描かれてきたのかという問いをめぐる読書会ができないかということで始まりました。そこからもっと広く「災害」という視点から、前代未聞の出来事に人々がどうやって対応し、何を考えてきたのかということを見てみたいというのが最初のアイデアだったんです。

 石牟礼道子が浮かんできたのは本当に偶然で、まさに思い浮かんだというかたちです。水俣病事件という前代未聞の病であり、公害であり、環境問題である出来事に向き合った文学ですが、じゃあ、水俣病は感染症なのかというと、そういううわさが流れていた時期もあるけれども、感染症ではないし、じゃあ、災害という言葉で片づけられるのかどうかもわかりません。読書会を立ち上げたとたんにいろいろな疑念やわからないことが出てきました。読書会には、EAA だけではなくて、UTCP やそれ以外のところで強い関心を持っている方々にもシェアされて、月2回集まりを持って現在に至ります。ワークショップも9月4日と11月21日の2回開きましたが、続けてきて強く思うのは、われわれは、何かが読みたいという思いを強く持っていたと同時に、誰かと読んで、実際に声で意見を交わしたいという希望を持っていたということです。ひとつの節目としてワークショップを開くことによって、これまで小さなところで交わしてきた声を外に開きながら交換させていくことが実現できたことにすごく大きな意義があった。だからこそ2 回できたのだと思っております。

 

宇野瑞木(EAA特任研究員):災害文学をめぐって、「書く」とはどういう営為なのかということを考える読書会としてスタートさせたいという思いもありました。東日本大震災以降、災害文学という視点で前近代の日本文学をまとめる企画にわたし自身が複数関わってきましたから。しかしその一方で、コロナ禍によってわたしたちはこれまでとは全然違う局面を迎えているという感覚もあって、それまでの自分のやり方を変えなければ届かないんじゃないか、本当に議論したいことを分かち合えないのではないかという懸念が生まれていました。専門性の中ではどうしても具体的な作業に向かいがちです。何かを考えるための理論や知識を学ぶことも大事ですが、何が起きているかわからない状況の中で、あえてEAA で読むのであれば、さまざまな人々が専門を超えてより根源的なことを共に考えられるテクストを探したいという思いが強くありました。

 そこで、『苦海浄土』が浮上したんですけれども、あらためて読んでみると、人間の身体が脅かされて、そして、社会が分断される厳しい状況にあって、それでも命の尊厳―石牟礼の言葉だと「いのちの賑い」と言ったりもするんですけれども―への深い思い、強い希望が込められていることがわかりました。ことばで語ることを諦めることなく、語ることの意味と難しさを共に問い続けたテクストだと感じています。

 わたしたちもソーシャル・ディスタンスの中で、語り合うことを渇望していましたね。読み尽くせないテクストを介して、オンラインであっても、お互いの気持ちを響かせ合うことがかなりできたという実感があります。それは読むことへの喜びや感動につながります。そういう感触を得られたのは大きかったですし、物語からは、何かが復活するような、治癒するような力を感じました。

 

張:石牟礼道子のテクストは、以前、前任校の香港中文大学で「日本環境問題」や「日本文学」という授業でも取り上げました。EAA では授業でもぜひ学生たちと一緒に読みたいと思っていましたから、ちょうどいいタイミングでしたので僕も参加することになりました。

 僕は個人的には、これが2020年のいちばん大きな、恵まれたことだと思います。そして、9 月のワークショップでは、「道の研究―わき道、被災した道、巡礼の道」というテーマで発表しました。「道子」の「道」は、東アジアにおいて非常に重要なキーワードだとわたしは思っています。これを発表して、さまざまな意見やコメントを頂戴しました。その結果、今までその関係性がよくわからなかったこと、例えば、和辻哲郎や柳田國男と石牟礼道子の関係などははっきりしなかったんですけれども、初めて何かが見えたという感触を持つことができました。

 この読書会では、『水俣―患者さんとその世界』(1971年)というドキュメンタリー映画の上映会を2 回ほど行いましたね。僕も参加しましたが、これもまた大きなことだったと思います。今はコロナ禍の中、みんな自分の家で映画を何本でも見られるんですけれども、やはり一緒に同じ部屋の中で、同じ空気の中で見ることによって、また新しい議論が生まれてくるというのが、とても新鮮に感じられました。

 この読書会では、ほかに巡礼ということも計画されたんですけれども、残念ながら、まだ実現できていません。近いうちにぜひ水俣へ巡礼し、本には書かれていない、忘却された記憶をよみがえらせてみたいと思っています。

 

石井:石牟礼道子の「道子」という名前の由来が、日本が近代的に文明化されていくプロセスの中で、新しい技術を使って道を建設していくということと、実は一致しているということもわたしたちはそこで学んで、はっとさせられましたね。

 福沢諭吉が『脱亜論』の中で、「文明は猶、麻疹の流行の如し」と言っています。彼は文明をある種の感染症であるかのように捉えているんですね。脱亜するということは、彼にとっては、文明に入っていくということだったのですが、それは同時に、ある種、感染を引き受けていくという意味にもなっているのです。福沢と石牟礼の立ち位置はまったく異なるものだと思うんですけれども、実は、わたしたちがどのように文明に対峙するのかという問題は、福沢においてすらもそれほど単純なものではなかったわけです。特に、感染をただ避けるのではなくて、何らかの形でわたしたちがそれを引き受けていかなければいけないという認識は、いまの状況下ではアレゴリー以上のリアリティを持って迫ってきます。石牟礼の文明批判にもこうした側面があると思います。そして、同時にこのことは、アジアとの横のつながりという意味でも、非常に大きな示唆を持っていると思います。

 

崎濱紗奈(EAA特任研究員):その意味では、いま一度、「東アジア」がどのような空間であるかをEAA において問い直していきたいです。やはり一つのヘゲモニー空間、つまり、権力空間として作られてきた来歴が東アジアにはあると思います。発端としての大日本帝国による大東亜共栄圏、そして、その後に続いた東西冷戦、アメリカ軍によって構成される空間としての東アジア、その上に現在の東アジアがあるといったことを踏まえた上で、東アジアから学問することの意義を皆さんと一緒に考えていきたいです。

 

髙山:会が続いている理由の一つは、みんながやっぱり読みたかったということと同時に、読み尽くせないくらい、やはりわからない、全然歯が立たないと言ったら変ですけれども、テクストがそれほど深い海のようであったというのがやはり大きいと思います。われわれのなかで考えていることも全く異なっているからこそ、毎回の議論が活発に続いてきたんだと感じます。先ほど、巡礼が実現できないという話がありました。やっぱりこのテクストを読むという以上、実際にどうであったのかというのを見ていく必要があると強く感じます。今、実際に旅をすることができなくなっています。それは、アクセスできる情報が制約を受けている中で、なかなか聞こえない声や残された記憶にどうやってわれわれがアクセスできるのか、完全に到達することができないにしても、どうやって迫っていけるんだろうかという問題をつきつけているわけです。そして、この読書会は、参加者それぞれの立場からそれを切実な問題として考える場になっています。

石井:沖縄に関する研究も張さんや崎濱さんによって始まるようですから、「道」はこれからもさまざまに広がっていきそうですね。

 

 

一高と101号館

 

石井:駒場オフィスの入っている101号館のエントランスには、2月の上旬から、「一高中国人留学生と101号館の歴史展」と称して、一高留学生の歴史をたどる展示が始まっておりましたけれども、4月以降はキャンパスのロックダウンによって誰も訪れることができなくなってしまいました。もともとは、コミュケーションプラザ南館の2 階とか、駒場図書館等を使って、かなり大がかりな展示を6月ごろまで断続的に行う予定だったのですが、それが全てストップしてしまいます。にもかかわらず、101号館には訪れる人もないままに展示のパネルがひっそりと残されていました。それを何とかしたいということで、バーチャル・エキシビションを考えたのですが、その後、少しずつ議論を重ね、田村隆さん(総合文化研究科)とか折茂克哉さん(駒場博物館)のご助言を仰ぎながら、101 号館の建築そのものとそこにまつわる歴史の双方を一つの物語として映像作品にするというワークショップが始まります。リモート・コミュニケーションが主体になっている中で、手作業をする空間としてのワークショップを何らかのかたちでわたしたちなりに新しく開き、そして、新たな作品を作っていくという試みです。

 

髙山:エントランスの展示は、去年の2月に予定されていた北京大学との集中講義に間に合わせようということで、なんとか始めることができましたが、結果的に、本来であれば見てもらえるはずだった新入生など若い人たちに、駒場キャンパスにかつてあった歴史を示す資料をお披露目する機会が失われたまま、ほとんど見られることがなく、現在に至っています。これまで眠っていた新しい資料もあるのですが。それで、その展示会場だけでもオンラインで映像で公開できないかというのが最初のアイデアでした。もともと101号館は、中国からの留学生が勉強する特設高等科のために作られた校舎ですから、その歴史が刻まれた古い建物の手触りや空気感の魅力を探ることが面白いのではないかということになりました。過去の歴史を振り返ることによって、未来につないでいくきっかけをつくることにもなります。

 そこで、バーチャル・エキシビションではなく、むしろ、デジタル化されることで抜け落ちてしまうような「ノイズ」のほうに目を向けて、これを映像として残すことにしたのです。そういう取り組み自体は、単に論文を書いたり、書籍を残したりするというのとは別のかたちの学術表現のあり方です。

 今、若い院生が3人で取り組んでいますが、いろいろ調べてアイデアを練る中で、みんながすごく関心を持つようになったのは、1930年代当時にもここに学んでいた若者たちがいて、その日常生活がこの建物を介して営まれていたという、それ自体はありきたりな事実です。寮の歌とか日誌とかが残っているんですけれども、そういったものがものすごく面白いのです。この企画は、世代を超えて変遷してきた駒場そのものを捉え返す機会にもなっているんじゃないかなと、運営をしながら思っております。この取り組みの中から、大学のキャンパスが本来持っている役割は、勉強をするとか、テクストを読んだりするということももちろん大切ですが、学生同士が空間を共にする場としての役割であることがわかってきました。そのようなキャンパスが歴史的にずっとあり続けたことを、いま振り返ることの意義を痛切に感じます。

 

宇野:2019年度に調査を進めてきた藤木文書も、今後生かしていきたいです。それこそただならぬ空気があったはずの時期の資料です。極限状態での一高の空気や留学生たちの空気を読み取れる資料であると思いますし、あるいは、教育という場で、まさに人と人とのあり方が際立つような貴重な資料です。一高の教育理念であるリベラル・アーツがどう生かされ、またどこに限界があったかを学ぶ意義があるだろうと思っています。

 

石井:101号館の歴史は1930年代半ばに始まっています。それは宇野さんの言うとおり、たいへん危機的な時代だったのですよね。建物に響いていたであろう当時の学生たちの声や、そこから立ち上がってくるある種の匂いのようなものの背後には、さらにその時代の無意識がどこかにあるんですね。わたしたちも時代の無意識に何らかの支配を受けています。それは事後において歴史を振り返りながら明らかになっていくものでしょうが、いかにしてそれをつかまえるのかは非常に大きな課題です。そして、それを捉えてみることは、今のわたしたちがこのパンデミックの中でこのプロジェクトをやっていることの意味づけにもなることでしょう。

 

 

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