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2022.08.02

【報告】せんだいメディアテーク視察&映画『籠城』上映会@東北大学

2022年7月29日(土)から7月30日(日)にかけて、映画『籠城』制作チームの有志で仙台を訪れた。先日の山形行きとおなじく、昨年度に計画していたがやむなく延期となった企画が念願かなって実現したものである。せんだいメディアテークでは、記録/記憶をどのように伝承できるのかという観点から、東日本大震災をめぐる様々な企画が組まれつづけている。今回の訪問では、展示「2011.3.11 大津波に襲われた沿岸集落で、かつて聞いた《いいつたえ、むかしばなし、はなし》——その十——亘理郡山元町周辺の民話」をじっくり視聴することができた。数十年来の民話採集と連動して制作された映像を含むメディアが、来館者が自由に行き交うなかでいつでも見られるようになっていたのは、映画の上映方法そのものについて既存の枠組みを外れたいくつもの可能性を考えさせるものになっただろう。

2日目は、茂木謙之介氏(東北大学)のご助力をいただき、東北大学文学研究科現代日本学研究室・日本学研究会との共催という形で、院生シンポジウムと上映会を抱き合わせで行うことが実現した。本間大善氏(東北大学大学院博士課程)が「中世の「罰文」における「癩」の析出とその機能ー差別の固定と増幅」、日隈脩一郎氏(東京大学大学院博士課程)が「記録/映像ーアーカイヴズのアウトリーチ活動としての」、高原智史氏(東京大学大学院博士課程)が「映された一高生」と題した発表をそれぞれ行った。アフタートークでは、加藤諭氏(東北大学)と佐々木隼相氏(東北大学)、さらには茂木氏からそれぞれ旧制第二高等学校との比較や移転をめぐるアイデンティティ、声のジェンダーの問題について貴重なご指摘を頂戴した。こちらも後日、記録を別途公開する。

他にも3.11メモリアル交流館を訪問するなど、参加者の各自が過去の出来事の記録と伝承について事例検討も体感する学びの時間となったように思う。このたびの視察のためにご協力をくださった皆様に心から感謝を申し上げます。

報告:髙山花子(EAA特任助教)
写真撮影:齊藤颯人

 

参加者のレポート

 杜の都・仙台。先週の山形に引き続き、『籠城』を引っ提げての東北旅である。目的は二つ。せんだいメディアテーク(SMT)訪問、そして東北大学での上映会である。
 複合施設であるSMTは、仙台市民図書館(仙台市中央図書館)をその中核とするが、見渡すかぎり老若男女が思い思いに憩う場所であり、また、コンパクトな市街地のなかにあって繁華街にも程近く、そこに集う人々により賦活されることで単なる公共空間を超えて、「メディア」をその名に冠する施設として力動的な場所たりえているように思われた。「せんだいメディアテークは端末(ターミナル)ではなく節点(ノード)である」という同館の理念を知ったのは帰路についてからのことだった。

 その仙台メディアテークから市営電車を乗り継ぐなどして15分程度の青葉城址に、東北大学川内キャンパスはある。日隈は、「記録/映像の歴史実践」と題した発表の機会をいただいた。我々は常に歴史に巻き込まれ、歴史を語り、また、産出してもいる。ただしその仕方は、学術論文や書籍の執筆・公刊、ないしそれらの読解に当然とどまらない。歴史叙述・解釈の多様さをひとまず歴史実践と概括し、その多様さ、そして豊かさの可能性をおしひろげることはできるだろうか。記録という営為、映像という事態、あるいは記録映像というメディアは、そうした可能性の賭け金になりはしないだろうか。そのような問いを、提起してみたつもりである。くわえて、その記録/映像という歴史実践は、たとえば今回訪ねたSMTのようなメディア施設(ドキュメントセンター)と大学、あるいは知的基盤の整備事業に従事するミュージアムやアーカイブズとの協働によって制度化することが可能ではないか、ということも(当日はうまくことばにできなかったものの)考えてみたかったことである。当日フロアから寄せられた質問への応答もうまくはできなかったが、今ここに覚え書きとして、ドゥルーズが『批評と臨床』のなかで文学と哲学、ないし「書くこと」を「健康産業」と規定していることを、指摘しておきたい。
 発表を終え席につくと、感染症対策で開け放たれた窓がメディアとなって、セミの声がより激しく鼓膜を打つように感じた。文月の終わりではあったが、文学はまだしばらく残るだろう。

日隈脩一郎(教育学研究科博士課程)

 

 この週末に訪れた仙台は、アーカイブや記憶について考えるうえで特別な場所だ。東日本大震災から11年目のこの場所では、忘却に抗う思いと、忘却を受け入れて現在を生きる思い、それらの拮抗が、街の至るところで手に取るように生々しく、立ち現れている。
 一日目に訪問したせんだいメディアテークで、まだ10歳にも満たないように見える小学生らしい女の子が祖父らしき人に連れられて、ふたり手をつないで、展示をみていた。おじいちゃんが「そりゃあ大変だったよ。まだうまれてないときだよ」と女の子に話しかけているのが聞こえた。「そりゃあ大変だった」と簡単な言葉で表現された彼の内奥にははかり知れない含意がある。もちろん女の子はそのすべてを推し量ることも受けとめることもできない。震災から11年。できごとが過去になっていく、その様態が、小さな日常的な会話の端々に入り込んでいる。
二日目には、せんだいメモリアル交流館を訪れた。交流館の少し先には、震災遺構となった荒浜小学校がある。そして荒浜小学校の先には、海がある。津波の被害が最も激しかった地域である。かつて仙台唯一の海水浴場として多くのひとが訪れていたこの場所は、震災から11年経った今も、気安く立ち寄れる場所ではない。この夏、海岸では〈深沼ビーチパーク2022〉というイベントが催され、いまだ遊泳することができない海で、それでも波打ち際を歩いたり、本や音楽のプレイリストを貸し出したりすることで、それぞれの時間を過ごす場をつくっているそうだ。
私たちは、過去のできごとにたいして常に一貫した態度を取れるわけではない。仙台で震災という過去のできごととの向き合い方を模索する人々の営みから、それが些細な過去であっても、人智を超える大きな震災であっても、「できごとが過去になる」ということの不可解さにとどまることができる場所が、私たちには必要なのだ、と考えさせられた。
二日目の午後、日本学研究会の一環として映画『籠城』が上映された。スクリーンに映し出される写真や手書きの文書といった旧制第一高校の痕跡を留める一次資料を、映画撮影時とは違う心持ちで改めて眺めた。『籠城』に映された写真や文書の資料は、映画の制作者たちの意図を一飛びに超えて、観る者の胸に迫る力強さを備えている。過去を眺める不可解さにとどまる時間が、ここにはある、と思った。

一之瀬ちひろ(総合文化研究科博士課程)

 

東北大学にて映画『籠城』の上映会を行った。上映の前に、いくつかの発表があり、報告者からは、「映された一高生」と題して、昭和の一高生が自らの姿を映させた映画制作について、『籠城』の制作と対比した。
昭和5年、数年後の一高の本郷から駒場への移転を前に、本郷での雄姿を映しておこうと映画制作が企画された。一高卒業生の城戸四郎が撮影所長を務めていた松竹キネマに話は持ち込まれ、城戸の快諾により話は進んでいったようである。そこで制作された『向陵生活』の構成などを紹介しながら、一高生たちが自らのものとして演出したかったであろう表の姿について述べた。他方、『乾杯!学生諸君』という、原作が一高を舞台にしており、昭和10年にK大というのに舞台を移しながら映画化された作品について紹介した。帽子の徽章に込められた意味や正門主義など、表の姿についても言われており、一般社会の目からみたオフィシャルな一高イメージというのが存在したろうことを指摘しつつ、それ以上に寮内の南京虫の話であるとか、門限で閉門後、よじ登ってでも正門から帰宅すべしという正門主義についても、むしろ乗り越えに失敗してズボンを破るというような滑稽さの方にスポットが当てられていることを取り上げて、社会が一高生に見たかったことと、一高生が社会に対して見せたかったこととの間にはズレがあると述べて、さて『籠城』では、そのことはどうなっているだろうかと結んだ。
発表後、フロアからは、一高生のイメージとは最初からあったものでも、ずっとあったものでもないだろうが、いつどのように形成されたものなのか、例えば佐藤紅緑の『あゝ玉杯に花うけて』(1928年)などはどう関わるかといった質問をいただいた。東北大学の地で、かつて仙台にあった同じ旧制高校である第二高等学校等についても研究されている方々からの質問であるだけに、通じ合うところが多くあったが、上記の質問に関しても、報告者の用意が不足しており、満足に答えることができなかったが、今後の自身の一高研究の進め方に示唆を得た。

高原智史(総合文化研究科博士課程)

 

二回目の『籠城』学外上映会は東北大学川内キャンパスで行われた。旧制二高と縁深い土地で旧制一高を扱ったこの作品を上映する機会をもつことができたわけである。会場となった文学部第一講義室は酷暑のせいだけではない熱気と緊張感に包まれていたように思う。東北大・東大双方の院生による発表もあわせて、『籠城』という作品それ自体のみならず、さまざまな観点から制作プロジェクト全体を語り合う場となり、その感慨はひとしおだった。
今回のアフタートークでは、東北大学からご登壇いただいた茂⽊謙之介氏、加藤諭氏、佐々⽊隼相氏により、広く多角的な観点から映画のエッセンスを語っていただいた。たとえば、旧制二高と比較しての旧制高校の自治や寄宿寮などの伝統について、かつての選良意識と生徒たちのアイデンティティについて、あるいはさらに、そうしたエリート主義が相対化された現在の視点から過去の事象をいかに考えるべきなのか、等々。そうした問いに包まれながら、わたしは、旧制一高の映画をつくったのだという事実にともなう重責を強く意識した。かつて記録され、適切に整理・保存された旧制一高の史料を用いて作品をつくったのであればこそ、上映を行って語り合い、自分自身の時代のなかで過去を問い直していくことが、わずかでもできる応答なのだろうと思う。かつての出来事を批判的に見ることが、返す刀で、自分自身の時代への鋭い反省の意識を宿すものでもあるように、というのは『籠城』に込めた考えのひとつである。
ところで今回、せんだいメディアテークも訪問することができた。「3がつ11にちをわすれないためにセンター」というスペースがあり、被災地の定点写真や世代・国籍問わず多くの人々による被災の証言録を見た。どれも貴重な記録だった。そのなかには音のアーカイヴもあった。震災経験などについて語る複数の声に聞き入った。それぞれが自分の声を発していると感じた。録音された声の力を、思いの込められた資料の数々を後世に残していくことの使命を思い知った。

小手川将(総合文化研究科博士課程)