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2022.09.21

【報告】2022年度第1回「部屋と空間プロジェクト」 研究会

2022年830日(火)1400より、第1回「部屋と空間プロジェクト」 研究会が行われた。今回は石井剛氏(総合文化研究科)が原広司「境界論」(『空間:機能から様相へ』(岩波書店、2007)所収、1981)をとりあげ報告を行った。司会は田中有紀(東洋文化研究所)が務めた。

石井氏はまず、書院の歴史について簡単に説明し、現在の中国の大学における書院教育と東アジア藝文書院の比較を行い、その独自の特徴について説明した。EAAは国際的パートナーシップを構築し、21世紀における新しい学問、すなわち東アジアを出発点として近代的学知の普遍性を相対化する役目を担う。また、駒場の教養伝統である哲学としてのリベラルアーツに基づく研究の先端性もその特徴である。さらには産学協創を掲げ、大学が社会的共通資本としてアクセスできるよう、社会に開かれている必要があると考えている。このような条件のもと、書院という特殊な存在はどのような空間であるべきだろうか。本報告は空間と境界を手掛かりに、この問題について考察する。

空間には必ず境界が必要であり、我々は境界を想像する必要がある。本書で述べる通り、閉じた空間に孔を穿つことが建築であるならば、書院も外界との交換を欲しているはずである。宇宙との媒介者となるのが大学の本来の役割であろう。本書では「ルーフ」「エンクロージャー」「フロア」という三つの概念を手掛かりに境界を考察する。

特に注目されるのは「反転」という概念である。建築は、宇宙全体をテニスボールの中にしまいこむように、反転によって都市を埋蔵させ、住居には虚構性が持ち込まれる。その中では「ふり」の演劇行為が行われている。大学もまた、「ふり」によって代替的な現実をキャンパスで演じる場所である。反転した舞台である大学において、美的な「ふり」を身に付けていく。そのためにはエンクロージャーの内側にいる者同士の距離が近いことが必要であり、さらにそのエンクロージャーで仕切られた空間は、仮想的なルーフによって離散的に統合される。EAAがひとつのエンクロージャーであるならば、世界中のほかの教育組織はルーフによって統合されるようなイメージである。

続く質疑応答では以下のようなテーマが話題となった。ルーフが「八紘一宇」へと向かう危険性は無いのか。また、「どこにも属さない空間に対する感覚」の変化にも注目する必要がある。昔は単なる子供の遊び場だった所を、危険な場所だと考えるようになった私たちは、どのようにして「どこにも属さない空間」を創り出していくのか。もし社会や大学が、どこにも属さない余白の空間を排除しようとするのなら、その論理の内面に入って考える必要があるのではないか。全ての空間が行政・市場システムに占領されている今、権利関係が複雑で秩序を求めようにも求められない空間に出会うと、我々はイライラするが、そのような、思うようにならないものと向き合っていく必要性があるのではないか。以上の問題を解決するためには、自分の手で建築して壊してみるという行為も必要かもしれない。空間の自明性・虚構性を壊していくことは、社会の秩序、損得関係から外に出て、距離をとる仏教にも通じる。また原は、ある地域の特性だと思われている性格が、他の離れた地域においても生起しており(離散的な多発性)、伝統はナショナリズムに属する概念ではなく、インターナショナリズムに属すると述べている(『集落の教え100』、彰国社、1998p.22)。これをふまえると、我々も東アジアあるいは大学という場に限定せずに、全く異なる場所にヒントを探し出す必要があるのではないか。

報告者:田中有紀(東洋文化研究所)