2026年2月4日の午後2時より、東京大学東洋文化研究所第1会議室にて、UIA THE LECTURE第7回が開催された。本レクチャーシリーズでは毎回、世界の第一線で活躍する研究者にお話頂いている。今回はデンマーク国際問題研究所(DIIS)シニア研究員/東京カレッジ招聘教授のシャルロット・エプスタイン氏をお招きし、ご著書Birth of the State: The Place of the Body in Crafting Modern Politicsの内容を中心に、ご自身の最新の研究についてご講演頂いた。司会は中島隆博氏(東京大学東洋文化研究所所長)が務めた。

2021年にオックスフォード出版局から刊行されたBirth of the Stateは、2023年国際関係学会(International Studies Association, ISA)「Best Book in the Discipline」賞や2023年イェール大学ファーガソン賞(歴史研究における最優秀書籍賞)といった名だたる賞を受賞している。ホッブズやロックのテクストをひもときながら、「身体(the body)」という視点を通して、近代国家(the state)と個人(権利主体)がどのように形成されてきたのかを分析する一冊だ。
特筆すべきは、「身体」を単なる生物的存在としてではなく、近代政治の核心を読み解くためのレンズ(optic)として解釈し直していることだ。エプスタイン氏は、17世紀の初期近代において、国家や権利という概念が、身体を認識する新たな技法——もっと言えば認識論——と連動し合いながら誕生したことを丹念に解き明かす。国家・主体・権利といった概念がそれぞれ自律的かつ自然なものとして発展したという前提を根底から疑い、これら近代政治の基本概念は、「身体をどう理解するか」という枠組みを通してしか成立しえなかった、というのが本書の見解だ。
興味深いのは、「身体」という認識の条件が成立する過程そのものである。解剖学の発展によって、身体は視覚化され、観察・測定・比較・区分される対象となった。こうした行為を通して、規範的身体観が完成されていくのだが、重要なのは、その規範とは、参照項として女性/貧困層/非白人/障がい者といった身体を周縁化することによって初めて成立する、ということだ。つまり、はじめに男性/白人/健康という規範的身体があって、そこを基点にして排除が行われるのではなく、規範的身体は、それ以外の参照項を鏡にすることによってしか成立しえなかった、というわけだ。排除や不平等は後から生じた歪みであるのではなく、ある主体が成立するための構成要素なのだ。「◯◯である」という定義のされ方ではなく「◯◯ではない」といういくつもの否定項によって主体が形成されていくというのは、「国民」や「人種」という概念がどのように成立するのかを分析した諸研究で広く共有された議論の型で、筆者も慣れ親しんでいる。だが、そもそも身体という概念そのものがそのように形成されたことを明らかにしたというのは新鮮な発見で、氏の研究を興味深く拝聴した。
氏の議論に従えば、「安全」「自由」「権利」といった基本権利は規範的身体との類比の上に成立している。イタリアの政治学者であるロベルト・エスポシトは、身体をウイルスなどの外敵から守るために免疫を強くする、という免疫学的発想が、国家の安全保障にパラレルに見出されることを論じた。また、同じくイタリアの哲学者であるジョルジョ・アガンベンは、ある秩序が成立するためには、その内部に取り込まれながらも、あらかじめ排除される存在——剥き出しの生——が必要であることを、その共同体論において示した。エプスタイン氏の議論は、彼らの議論を踏まえ、それをさらに発展させたものであると言えるだろう。氏の挑戦的かつ精緻な研究に触発され、講演終了後は渡辺浩氏(東京大学名誉教授)はじめ、オーディエンスから多くのコメントや質問が寄せられた。東アジアにおける近代国家の成立にも氏の議論が敷衍できるか否かといったテーマをめぐって、活発な議論が交わされた。
報告者:崎濱紗奈(EAA特任助教)