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2023.12.08

悦びの記#20(2023年12月8日)

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ちょうど一週間前のことですが、長春にある東北師範大学から歴史文化学院の方々が東アジア藝文書院を訪れ、半日の交流を行いました。副学長の韓東育さんをはじめ、かつてここ駒場で長く教鞭を執ってこられた黒住真さんのもとで学んだ方が数名いらっしゃったということもあり、黒住さんのすばらしい講演を聞くことができたことは、わたしにとっても貴重なことでした。思えば、駒場を支え、東大のみならず日本の学問の一時代を築かれた偉大な先輩たちがどんどん定年を迎えていき、この数年の間に駒場の学問の風景は大きく変わったと感じます。黄金色に染まる銀杏並木を仰ぎながら、都心に近いこの場所でまだこれほどの緑が残っているのはすばらしいことですね、と微笑む黒住さんの姿、そして、九鬼周造とベルクソンを自在に横断しながら、世界と人間のことを大きなスケールで論じるそのお話に接して、いったい駒場の学問はいまどうなんだろうかと考えざるを得ませんでした。

 ところで、来訪した皆さんは中国や日本をフィールドとする思想史研究者でしたが、今回の交流は英語でお話しされた一人をのぞき、それ以外は皆日本語で行われました。これ自体は小さなことですが、その中には大きな意味があるような気がします。わたしはしばしば中国語圏の研究者に招かれて出かけていき、中国語を使って交流を行っています。他にも同様の研究者が日本にもたくさんいるのをわたしは知っています。しかし、その逆はたくさん行われているのでしょうか。寡聞にして知りませんが、きっとかなり少ないのではないかと思います。東アジアの学術交流が決してバランスが取れているとは言えなさそうです。なぜそうなっているのか、原因は多岐にわたるでしょうし、その原因を解消するのが容易なことでないのは明らかなようです。

 今回のシンポジウムには「東アジアにおける新しい文明形態の生成と発展」という気宇壮大なタイトルが掲げられていました。東アジアにおける「新しい文明形態」として、いったいわたしたちがどのようなものを望むのかがそこにはかけられているはずです。そして、これまでの学術交流(学術だけではないでしょうが)のアンバランスが解消されることをわたしたちが望むべきであることは、わたしには自明であるように思えます。

 その方向に向かって、できることをやっていかねばなりませんし、人を育て、わたし自身も育っていかねばなりません。

石井剛(EAA院長/総合文化研究科)