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2023.12.07

【報告】第1回 水と空気を考える会

2023年11月30日(木)14:00から駒場キャンパス101号館EAAセミナールームにて、第1回水と空気を考える会が開かれた。

はじめに企画者の張政遠氏(総合文化研究科)から趣旨説明があり、去年、福島の新地町でたまたま「水の新たな価値をさぐれ」という特集テーマの雑誌『創成』で福永氏を知り、身の回りの水や空気について、組織を越えて、さらに普遍的な環境問題を考える契機を作る意図が語られた。究極の幸福とはなにかという問いや、climateと誤訳される和辻哲郎の「風土」を実際問題に惹きつけて、「風土」の変化を考えたいという日本哲学的な関心も明かされた。

 

最初の発表者は福永真弓氏(新領域創成学研究科)だった。環境社会学と環境倫理を専門とする福永氏は、ハンナ・アーレントの宇宙論に言及し、人間の条件が相互作用によって成り立っていること、さらには汚れないと可視化されづらい空気も、空気に比べて見えやすい水も、それぞれ単純に要素化され、純粋化されてゆく流れに対して、どう空気をエンジニアリングできるのか?という直近の問題意識を語った。イリイチの再読や、空気からプロテインをつくる考えも紹介された。

 

2番目の発表者である宮田晃碩(UTCP特任研究員) は、熊本県球磨郡における治水のための川辺川ダム建設計画をめぐる経緯について、漁協といったダムによって仕事の影響が大きい人たちの反対運動がたしかにあるなか、価値を生み出すというより、意見を言い主体性をもって関わるわたしたちは何者なのか?という問いが、流域の人々に生まれてくることが、広く気候変動といった他の主題にも関わることを示唆した。

 

3番目の発表者である石井剛氏(総合文化研究科、EAA院長)は、東アジア藝文書院(EAA)のロゴになっている火と水の不可能な婚姻というモチーフが淮南子の思想と通じていることや、享受できる空気が政治経済的に決められている状況を明確に自覚すべきだという問題意識、そして空気の民主化についての問題意識を、惑星時代のヴィジョンと老荘思想といった中国思想における水概念、そして江湖概念と結びつけ整理した。

 

4番目の発表者である桑山裕喜子氏(UTCP特任研究員)は、自身の専門とする現象学の議論を背景に、「空気」の語義の変遷と、現代における日常的な意味を、たとえば「雰囲気」や「空気を読む」といった他者との関係性をめぐって用いられるニュアンスに目配せをし、ある場を支配するロジックを「空気」と呼ぶことじたいを批判的に見ることが、なにか間主観的に構築されながら変化する用語的ダイナミクス、さらには身体性とのかかわりをつかめるのではないかと指摘した。

 

5番目の発表者である野澤俊太郎氏(EAA特任准教授)は、東京大学内で社会連携の講座に携わるなか、たとえば障害者施設において、大きな空間を設計することがノイズの問題を生じさせたり、人工呼吸器を装着する患者にとって空調とは体内化された器官とみなされている現実を紹介した。そして今秋より取り組んでいる空気の価値化プロジェクトにおけるシリーズ「アートを通じて空気する」において、人間が空気を宿主にするウイルス的存在だという視点が出たことを紹介した。

 

最後、梶谷真司氏(総合文化研究科、UTCPセンター長)は、属性や個別の判断によらずに、情景や景色、空間、建物に人びとが感じる「雰囲気」の定義を確認し、「雰囲気」を作るとは、そのときの合意形成がなされるプロセスから、倫理や審美性を問う主観や客観とは異なり、なにか共有について考える契機になると指摘した。なおかつ、空間を作る現代アートの雰囲気や、個物ではなく向こう側に働きかける行為によって人の心が動かされてしまうその責任を考える必要性も指摘された。

ディスカッションで、とりわけ盛り上がったのは、人類が地球を離れ宇宙にいった際の話である。宇宙船は故郷になるのか、地球では存在していた大地はどうなるのか、世代が変わってゆくとどうなるのか、宇宙船では呼吸するときに物質化された空気しか吸わなくなるのではないか、雰囲気の歴史性や文化なしに普遍的なものだけで人間は生きられるのかといった問いをめぐって言葉が交わされた。空気の流動性にかんして、文化人類学でアプローチされているマナの概念と氣の比較といった今後の展望も示唆され、フィールドワークも予感された。

報告・写真:髙山花子(EAA特任助教)