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EAAシンポジウム「沖縄施政権返還から50年——辺境東アジアから「冷戦」を考える」

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EAAシンポジウム「沖縄施政権返還から50年——辺境東アジアから「冷戦」を考える」

2022年は、沖縄をめぐる施政権が米国から日本国に返還されて50年という節目の年であった。しかし、「沖縄問題」と呼ばれる構造は依然として膠着状態にあり、「新冷戦」とも言える今日の東アジア情勢において新たな局面を迎えている。本企画では、東アジアというトポスが抱える矛盾が凝縮された「辺境」(あるいは白永瑞氏の言葉で言うところの「核心現場」)という視点から、1945年以降、この場所が辿ってきた道程を歴史的および理論的に考察することを目指す。

【日時】
2023年3月16日(木)13時〜16時

【場所】
Zoom
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【プログラム】

13:00-13:15
開会の挨拶および主旨説明(張政遠/東京大学准教授、崎濱紗奈/東京大学東洋文化研究所EAA特任助教)
13:15-13:35
発表1:「冷戦の終焉」と東アジアの米軍基地(波照間陽/沖縄国際大学沖縄法政研究所特別研究員)
13:35-13:55
発表2:香港人アイデンティティの動員力は持続可能なのか?(銭俊華/東京大学大学院総合文化研究科地域文化科学専攻
博士課程
13:55-14:15
発表3:
新冷戦〈=分極化〉の下での民主主義を考える──ポスト・トゥルース時代のポストコロニアル的事例としての「台湾」からの実践と構想(李依真/東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程満期退学
14:15-14:35
休憩
14:35-14:55
応答1:金杭(延世大学校教授
14:55-15:15
応答2:張政遠(東京大学准教授)
15:15-16:00
全体ディスカッション

【発表概要】

発表1「『冷戦の終焉』と東アジアの米軍基地」
(波照間陽/沖縄国際大学沖縄法政研究所特別研究員)

西欧では冷戦の終焉を機にドイツを中心に駐留米軍が大幅に削減され、基地は整理・統合されたが、東アジアでもフィリピンや韓国を中心に米軍は縮小された。しかし、冷戦の終焉によって全ての基地が返還されたわけではないし、反対運動が基地返還に帰結したケースとそうでないケースもある。基地返還をもたらす要素を特定することを本報告の目的とし、1990年代の米軍基地返還をめぐるフィリピンと沖縄の事例を検証する。本報告は、基地返還を説明するには、国際環境、特にそれに対する米国の認識と基地を受け入れている接受国の要望という二つの要素を見る必要があることを論じる。これは、変化する国際環境下にある今日の東アジアと米軍の前方展開に示唆を与える点で重要である。

発表2「香港人アイデンティティの動員力は持続可能なのか?」
(銭俊華/東京大学大学院総合文化研究科地域文化科学専攻博士課程)

過去10年で登場した「自治」「自決」「独立」などの主張と多くの抗議活動は、香港人アイデンティティを動員力の一つとしていた。「香港人、頑張れ」「香港人、復讐」などのかけ声がさらに2019年の抗議活動で響いていた。香港人アイデンティティが存在しなければ、香港社会の後退を止めようとする市民の行動を想像しにくくなる。しかし、国家安全維持法に基づく愛国教育の実施、「広東・香港・マカオ大湾区」の発展に伴う地域の一体化、および海外移民の増加を経ると、かつて社会運動に大きな動員力を提供した香港人アイデンティティは今後どう変化するのだろうか?本報告では、2010年代の香港人アイデンティティの特徴と今後その動員力の持続可能性を考えたい。

発表3「新冷戦〈=分極化〉の下での民主主義を考える──ポスト・トゥルース時代のポストコロニアル的事例としての『台湾』からの実践と構想」
(李依真/東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程満期退学)

本発表では、(新)冷戦の特徴である<分極化>を、次のように解釈することを試みる。すなわち、1.ハイブリッド戦における認知戦、2.ポスト・トゥルース的環境における極端な政治、3.ポストコロニアル的状況におけるコミュニティ紛争、という三つのベクトルが重なり合って出来するものとして、これを解釈する。分極化の弊害は、民主主義の核心である、市民による公的参加・活力のある公共圏での対話・協力関係の構築を妨げることにある。それは、往々にして権威主義と依存関係にあり、民主制を機能不全にしてその価値を貶めることにより、党派的権力を合理化し政治を実力行使の中で無化させる。本発表は、前述の三つのベクトルのアクチュアリティーが揃った実例として台湾を取り上げ、分極化の下での民主主義の可能性を考える。具体的には、知識人と市民が協働してネットワーク上のプラットフォームを創出することによって「サバルタン」(声なき存在として周縁化された人々)を公共空間に招き入れることを試みた事例を参照する。さらに、アルゴリズムによって感情が操作されやすいゆえに誰もが加害者であると同時に被害者である環境では、従来の道徳に代わる、新たな判断力——感情によって下支えされた限定的合理性に基づくリテラシー——に訴えかける必要性があることを論じ、不断の民主的実践を可能にする公共性を創出する可能性を模索する。

【主催】

東京大学東アジア藝文書院(EAA)