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2019.07.19

第11回BESETO哲学会議

去る6月28日から3日間、EAA共催のもと、第11回BESETO哲学会議が東京大学にて開催されました。以下、岡崎秀二郎氏(東京大学大学院人文社会系研究科博士後期課程)による報告文です。

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去る2019年6月28日(金)から30日(日)の3日間にわたり、東京大学本郷キャンパスにて「第11回BESETO哲学会議」(The 11th BESETO Conference of Philosophy)が開催された。「BESETO哲学会議」は、「北京」(BEijing)、「ソウル」(SEoul)、「東京」(TOkyo)の頭文字から成る名を冠する通り、北京、 ソウル、東京大学の三大学が共同して開催する学術会議であり、国を超えて研究成果を発表・共有する場として、主に若手研究者同士の国際的な連携関係を育んでいくことを目的としている。これまで「BESETO哲学会議」は3大学の持ち回りで、原則的に年に1回開催されてきたが、残念ながら2017、2018年は諸事情により開催されなかった。そのため、今回2019年の第11回会議は2016年のソウル大学で行われた第10回会議以来実に3年ぶりの開催となった。今回東京大学哲学研究室による主催の下、本郷キャンパスで開催された会議では、各大学からの3名の教員によるプレナリー・セッションと、24名の個人研究発表が行われた。そのうち、東京大学の院生ないしOBとして、計8名(丸山文隆、岡崎秀二郎、松井隆明、野上志学、笠松和也、西岡千尋、飯塚舜、片山光弥)が研究発表者として参加した。また今回、幸いにも会議運営に当たっては、東アジア藝文書院(EAA)から支援を受けることができた。ここに感謝の意を表したい。いずれのセッションでも発表者・参加者の間では様々な意見が英語で取り交わされ、梅雨の肌寒さを感じさせないほどに、会議は終始盛り上がりを見せていた。

〈写真1〉BESETO11thポスター@法文2号館

まず会議の冒頭を飾ったのは東京・北京両大学の教員2人によるプレナリー・セッションであった。最初の登壇者である榊原哲也氏(東京大学教授)は、‘An Unforgettable Patient: A Phenomenological Approach to Dialysis Nursing Care’という題のもと、医療現場、とりわけケアの現場における、現象学的なアプローチの意義を取り上げる講演を行った。この講演では、長期にわたって透析治療を受けることを余儀なくされる、慢性腎不全の患者に対して、看護師がそうした患者との間にどのような関係性を築くことができるのか、という問題が提示された。患者や看護師が持つ「経験」や「行為」が、実際に生きられた事柄としてどのように立ち現れるのかを明らかにするという、現象学及び哲学の実践的意義を問うこの講演は、専門の垣根を越えて多くの参加者の関心を惹きつけていた。さらに続いてXiaomin Zhu氏(北京大学教授)により、‘Different Philosophies: Could Taijiquan be Understood Today?’という題のもと、東洋と西洋の伝統や文化的背景の相違を踏まえたうえで、現代における太極拳をめぐる理解のあり方を問う講演がなされた。この講演では、古代中国において太極拳と密接に結びついてきた東洋哲学の考えを掘り起こしながら、太極拳が西洋的なスポーツとは異なる「原理」を持っているという点に焦点が当てられた。これらのプレナリー・セッションでは、一方で看護師へのインタビューの分析に基づく調査手法が取られたり、他方では太極拳と日本の柔道や空手等の伝統的な武道との比較が行われたりと、研究対象だけではなく研究のアプローチという点からも哲学研究の多様性が際立つ発表が行われていたと感じた。

〈写真2〉榊原哲也教授によるプレナリー・セッションの様子

各大学の院生たちによる研究発表は、続く2日目と3日目のセッションに分かれて行われた。これらの研究発表も、分析哲学、政治哲学、近世哲学、現象学、東洋思想といった、多岐にわたる専門分野からの発表となった。しかし、そうした中でも、各専門分野にまたがる問題領域が存在していることを改めて認識できた点も興味深かった。Soona Hong氏(ソウル大学)による ‘Sophrosyne as beautiful words’という題の発表、 Yudi Jiang氏(北京大学)による‘Self-Knowledge in Thomas Aquinas’という題の発表、笠松和也氏(東京大学)による‘The Remedy for Affects in Charron and Spinoza’という題の発表は、3大学の院生がそれぞれプラトン、トマス・アクィナス、スピノザと、異なる哲学者の思想を紐解くものであったが、いずれの発表も自己知(knowledge of self, self-Knowledge)という哲学的主題に焦点を当てるものであった。加えて2日目にはもう一つのプレナリー・セッションとして、Haeng Nam Lee教授(ソウル大学)により、‘Hegel on Free Will: Its Conceptual Structure and Social Ontological Implication’という題のもとで講演が行われた。この講演ではカントの「自由意志」の理解に対して、ヘーゲルがその伝統を引き受けながら、「理性」と「自然」というカントが残した二分法をいかに解決したのか、という哲学史上の難問が取り上げられた。特にこの講演ではその問題に対して、『法の哲学』におけるヘーゲルの自由意志論からの新たなアプローチが示された。偶然にもこの講演においても、「自由」にとっての「自己規定(self-determination)」や「自己同一性(self-identity)」といった、人間個人がいかに自己を評価するか、という広義の意味での自己知の重要性がやはり強調されていた。

〈写真3〉Haeng Nam Lee教授によるプレナリー・セッションの様子

こうした専門分野を跨いだ問題関心の重なりは、3日目の研究発表においても見ることができた。Heo Min氏(ソウル大学)は、‘Rethinking Death as a Socially-constructed Concept: a Critical Examination on Two Ways of Defining Death’という題のもと、脳死という現代特有の現象をめぐって、社会的な観点から「死」の概念を再構成することを提案する発表を行ったが、続く丸山文隆氏の‘Heidegger’s Concept of “Historizing”’という題の発表では、「現存在」にとって常に既に出会われつつあるものとしての「死」の観点から、ハイデガーの『存在と時間』における時間理解を再解釈する観点が提示された。今回、院生たちの発表はパラレルセッションを中心に行われ、その中でこうした共通の問題関心に対する異なる観点の見解が取り交わされていた点に、BESETO哲学会議の醍醐味の一つが現れていたと感じる。

以上3日間の全てのセッションを終え、会議全体を総括するクロージング・ディスカッションでは、こうした共通の問題関心を前提としたより活発な議論を発展させる枠組として、次回以降ワークショップ形式の討議を行う可能性も指摘された。今回の第11回BESETOは多くの方々のご尽力によって成功裏に終了した。第12回BESETOは2020年夏に北京大学にて開催される予定であるが、今後もこの会議をもとに東アジアにおける哲学・人文学研究の国際的発展が続くことを祈念して筆を置くことにしたい。

報告者:岡崎秀二郎(東京大学大学院人文社会系研究科博士後期課程)