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2022.03.23

「藤木文書アーカイヴ資料」の紹介

2021年6月に「藤木文書アーカイヴ」プロジェクトが立ち上がってから、早いもので10か月が経とうとしている。

ご存じのように、今月22日(火)より駒場博物館にて展示「もうひとつの一高――戦時下の一高留学生課長・藤木邦彦と留学生たち」が始まったが、この展示準備とは別に、本プロジェクトでは当初から「藤木文書」(現駒場博物館蔵)の閲覧公開を目指して整理作業を行ってきた。

こちらも、この度ようやく全ての資料について整理を終え、駒場博物館での閲覧が開始できるところまで漕ぎつけることができた。ここまで、本プロジェクトのメンバーは勿論、プロジェクトに協力をしてくださった全ての方々に改めて深く感謝を申し上げる。

 

さて、本ブログ記事でご紹介したいのは、本プロジェクトが始まった当初は想定していなかった、「藤木文書」とは別の、もうひとつのコレクション「藤木文書アーカイヴ資料」についてである。

本プロジェクトでは、「藤木文書」の整理・調査を進める一方で、戦中戦後の一高を経験された卒業生(本科生、特高生)および関係者にお話を伺うことも積極的に行ってきた(EAAブックレット『一高中国人留学生と101号館の歴史』「あとがき」より | ブログ | 東アジア藝文書院 | 東京大学 (u-tokyo.ac.jp))。そのきっかけは、一高の寮歌を歌う集まりである詠歸会を長年運営されてきた谷田和夫氏より、卒業生にお話を伺うなら今が最後のチャンスであるとお声掛けいただいたことであった。そこで、谷田氏を通して紹介いただいた方々にお手紙を差し上げ、そこから紹介いただいた方も含め、特設高等科および本科の卒業生の方々、またその関係者にインタビュー及び書簡でのやり取りを行ってきた。

そうしたやり取りの中で、資料を新たにお送りいただくことが度重なった。これらの関連する資料群をどのように保管すべきか考えていたところ、東京大学文書館の森本祥子先生と秋山淳子先生より、「藤木文書」とは別立てのコレクションにすべきであるとご助言いただいた。すなわち、「藤木文書」はあくまでも故藤木邦彦がその当時に何らかの意図や経緯のもとに一まとまりにして遺した資料群であり、今私達がその資料をアーカイヴ化すべく整理・調査する中で生まれてきた資料の塊は、それらと関連しているけれども別の経緯で集められたものであるからである。

このような次第で、「藤木文書アーカイヴ」の活動を通して新たに生まれてきた一高卒業生(本科生、特高生)及び関係者より寄せられた貴重な写真や書籍・雑誌類、手紙などをまとめて、この度、「藤木文書アーカイヴ資料」と名付け、駒場博物館に保管いただく運びとなった。勿論、本コレクションは、「藤木文書」と共にあることで初めて意味を成すため、関連コレクションとして「藤木文書」と並置いただくことになっている。

  改めて、本プロジェクトを支えてくださった皆様に深く感謝申し上げるとともに、新年度からの「藤木文書」の閲覧公開と共に、この「藤木文書アーカイヴ資料」も併せて広く活用されていくことを願っている。

 

報告者:宇野瑞木(EAA特任助教)

 

文書箱二箱分の「藤木文書アーカイヴ資料」。ラベルの表記は「藤木文書ア」とした。