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2022.11.29

【報告】第6回 藝文学研究会

2022年1128日、第6回となる藝文学研究会が開催された。今回は、渠敬東氏(北京大学教授)が「脱工業化時代の「山水」」と題して、中国の歴史における人間と自然に関する思想の系譜を概観し、資本主義が浸透しつつある現代における中国山水の思想的価値に焦点を当てて発表を行った。

 

渠敬東氏(北京大学教授)

 

通常、社会は「人間界」や「人の事」として理解されている。一方、私たちの社会に対する理解は、実は「人間界/人の事」を超える存在を介してはじめて形成されているのである。こうした超越に関する思索は、中国に絶えずあった。費孝通や銭穆といった学者は、「道」と国家・社会の関係を深く考えてきた代表である。その系譜をさらに古代中国まで遡ると、「山水」をめぐる思想の脈絡が浮かび上がってくるのである。

渠氏は、中国における人間と自然の関係についての考え方は、いくつかの段階を経て発展してきたという。まずは、「巫から礼へ」の変化である。この段階では、自然の神聖性が国家の儀式に反映されていた。それが、戦国時代から秦・漢時代にかけて、「人神の混じり合い」の段階を迎えることになる。そして、宋・元時代の中国の山水詩画は、仏教・道教・儒家が融合した世界観を現していた。王維、郭煕、趙孟頫、倪瓚などはその代表格であろう。中国山水が持つ中身は時代とともに変化し続けてきたが、そこで、人間・自然の調和への追求が一貫している。こうした「山水」の世界観に還ることは、脱二項対立の試みでもある。

それに対し、現代社会は「天・地」「山・水」「神・心」が解体した資本主義の世界といえる。 この世界の形成には、領土・民族・国家といった近代的な概念の登場が伴っている。その過程において、中国山水も客観的対象としての「山河大地」へと変化していった。現代世界に埋め込まれた私たちは、物事を物質・消費の文脈で理解したり、概念的なレベルで宙づりにしたりして、それを自らの心身に作用させない傾向がある。渠氏によれば、中国山水の思想は、今日の私たちをより大きな世界とつなぎ、自分と自然・環境・歴史問題との新しい関係性を築くために有効である。

渠氏が繰り広げる壮大な見取り図は印象的で示唆に富む。一方、実生活において、「山水」の伝統を実践することはいかに可能か。私たちの「山水」への探究を支える経済的・社会的条件そのものは、どこまで資本主義から切り離せるのか。中国の伝統の「発見」と「発明」の間の緊張関係にどう向き合うか。異なる学問分野による藝文への接近は、どのように有機的な差異性を生み出すことができるか。未来への可能性は、こうした疑問と期待の余韻の中にあるに違いない。

 

通訳者の余新星氏(東京大学特任研究員)

 

 

報告:汪牧耘(EAA特任研究員)