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2021.05.24

話す / 離す / 花す(13)

「虫の心」を慮ること

石井剛

 いつの間にか、2021年度の春学期も半分近くを経過しました。今年度もEAAでは学術フロンティア講義「30年後の世界へ」を開講しています。昨年度の講義に関しては、たいへんありがたいことに『私たちはどのような世界を想像すべきか』(トランスビュー)として、今週から全国の書店に並び始めました。また、東京大学の授業を動画コンテンツとしてインターネットに配信するサービスUTokyo OCWでは、同書に収録されている講義11回分の内容をご覧いただけます。書籍は講義の内容に加筆修正を行ったもので、その過程では受講生とのディスカッションの内容も適宜取り入れられていますが、動画ではもとになった質疑応答も記録されていますので、書籍と動画の双方を見比べていただくことで、立体的な臨場感を伴いながらテクストの生成過程を追体験することができるはずです。どうぞご覧ください。

 さて、3回目の実施となる今年度は、副題として「学問とその“悪”について」という、我ながら挑発的だと認めざるを得ないテーマを掲げました。ジャン=ジャック・ルソーがディジョンのアカデミー懸賞論文として「学問と芸術の復興は、習俗の純化に寄与したかどうかについて」という課題にノーという回答を突きつけた、あの『学問芸術論』が範を示してくれているように、学問がその誕生からある意味運命的に背負ってしまっている「悪」に対しては、学問自らが取り組む以外に望みはないとわたしは思いますし、実際それしかありません。しかし、ルソーの時代に比べて、わたしたちのいま置かれている状況は厳しいものになっているかもしれません。この講義の二人目の登壇者太田邦史さんのお話は、わたしも含め、聴衆にとってはショッキングな内容でした。それは、近年SDGsのようなグローバルな取り組みの中でも焦点となっている気候変動のような問題もさることながら、地球規模で考えてみると、人新世における生物多様性の急速な減少の方がはるかに深刻な問題であると指摘するものでした。人類という特定の種の持続可能性を追求することが、ともすれば地球上の生物界全体にとっては脅威になりかねない(いや、すでになっている)というのです。それでも、生物進化の長い歴史のなかでは大規模絶滅の後に別の繁栄が生じるというサイクルが繰り返されていますので、生物多様性はやがてまた回復するであろうという予測は成り立ちそうですが、そのためには、人類だけが種としての持続可能性を追求する特権を放棄する必要があるかもしれません。

 こうした事態をニヒリズムに陥ることなく希望ある道へとつなげていくことは、いったいどうすればできるでしょうか。今年度の講義は、この問題を皆で考えてみることを迫っています。それは解釈できない「秘密」の存在を感じながら、見えるものの向こうにあるものをとらえようとする試みであると言えるでしょう。「東アジア発のリベラルアーツ」を掲げて出発したEAAは、COVID-19パンデミックという危機のなかで「新しい学問」を探究することをいつのまにか引き受けることになりました。EAAで活発に行われているすべての研究活動はつきつめればみなこの問題に逢着します。

 どうやら、「学問」と呼ばれ、「学問的」であると思われているそれらの内実そのものを、わたしたちは別の想像力で再び鍛えていく必要がありそうです。そして、そのためには、何かを「手放す」ことも時には必要であるかもしれません。まるで、「虫の心」を慮って手放した結果、「あの光と風のなかの場所」について豊かな思いを馳せる自由を得た子どものようにです。

 あ、補足しますと、今年度の「30年後の世界へ——学問とその“悪”について」もUTokyo OCWにて順次公開します。書籍化も決まりました。どうぞ楽しみにお待ちください。

2021年5月23日


Photographed by Hana