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2020.11.20

シンポジウム「東アジア音楽思想における和」開催報告

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20201114日(土)14:00より、オンラインにて、シンポジウム「東アジア音楽思想における和」が開催された。

シンポジウムは対面とオンラインのハイブリッド形式で開催された

本シンポジウムは、儒学の中で「和」という概念がどのように捉えられてきたかについて再考することを目的とする。もし儒学で「和」という概念が論じられるならば、その議論を中心的に担ってきたのは礼楽思想ではないだろうか。本シンポジウムでは、日中の儒者たちが、どのような「和」を目指して礼楽を論じていたのか、その諸相を提示した。

開会に先立ち、田中有紀(EAA、東京大学)が趣旨説明を行った。続いて、荒木雪葉氏(福岡大学)が「論語における音楽思想と和」として報告を行った。「和」という字の発生から説き起こし、続いて『論語』の「詩に興り、礼に立ち、楽に成る」(泰伯第八)という語について分析した。基本的知識を身につけ(詩に興り)、それを実行するための応用力を得て実践するが(礼に立ち)、それまでの知識の継承だけでは、新しい段階への進化は望めないため、楽を学ぶことが必要となる(楽に成る)。楽を修めるためには、言葉・旋律・舞の三者に気を配り、それぞれの特性を伸ばし、互いに抑えあうことなく調和させなければならない。このような楽を学ぶことで、異なる要素を調和させて一つにする力(「和」の力)を体得できる。演奏を止めたらハーモニーが止まるように、調和の努力を止めたら調和しなくなる。すなわち、「和」とは変化し続けるものであり、動的なものである。神髄は受け継ぎつつ、新しい要素を取り入れて、調和を求め続ける必要がある。

二番目に、榧木亨氏(南昌大学)が「『律呂新書』における「和」――蔡元定の「数之自然」と中村惕斎の「人声之自然」」として報告を行った。楽律論の観点から、『律呂新書』を著した南宋・蔡元定(1135-1198)及び『律呂新書』の基礎的な研究を行った江戸時代の中村惕斎(1629-1702)を取り上げることにより、楽に期待される「和」について検討を行なった。儒教では、正しい音楽を正しい音高で演奏することにより「和」を実現するために楽律研究が行われてきた。蔡元定は数の理論を用いることにより、十八律を定め、この十八律が「数之自然」に従った結果であると主張したが、中村惕斎は、「数之自然」ではなく「人声之自然」に従った結果であると述べている。両者の楽律論に対する観点の違いは、実際の音楽との距離感に起因するのではないか。すなわち、理論(楽論及び理学)を重視する立場(蔡元定)と実践(雅楽の探求と楽器演奏の習得)を重視する立場(中村惕斎)の違いである。

三番目に、中川優子氏(東京藝術大学大学院)が「日本近世前期の知識人における音楽思想と「和」――熊沢蕃山・貝原益軒を例に」として報告を行った。近世期の日本において、儒学者をはじめとする知識人たちはしばしば音楽に関心を向けた。本報告でとりあげた熊沢蕃山(1619-1691)と貝原益軒(1630-1714)は、ともに京都で雅楽を学び、音楽に教育的価値を見出した人物である。その思想の基盤には、音楽のもつ「和」の効用が少なからずあるのではないか。熊沢蕃山は、聖人が礼楽を制定することで、その礼楽が人心を和し、その人心によって声が和し、天地の和も応じると考えた。音楽は社会的・政治的規範を帯び、楽の「和」を、異なる者による秩序をもった調和と捉えた。これに対し貝原益軒は、楽とは、天地自然の道理に基づき心(身)を和楽にするものであると考え、楽の「和」に対し、内面/身体への効用を期待した。このように、「和」の効用を、社会へ向けるか、内面に向けるかに差はあるものの、両者とも「和」を得るために、実際の音の動きや響きに通じること、詠歌舞踏・楽器の演奏といった実践を重視する姿勢が窺える。

四番目に、田中有紀が「中国における古琴文化と和」として報告を行った。古琴は、2003年にユネスコの無形文化遺産に登録されて以来、中国国内において、伝統文化の復興を求める声とともに、前近代の文人文化を象徴する存在として、高等教育の教養課程に組み入れようとするなど、様々な試みが展開されている。本報告では、儒教における琴の役割を論じるにあたり、歴代の図書目録や「孔子学鼓琴」説、宋代の楽器論などを参照し、どの演奏形態に着目するかによって、知識人の代表となるべき楽器の様相も変化すると分析した。そして北宋の朱長文(10391098)『琴史』をとりあげ、琴の儒教化・道徳化が図られたこと、その中で「歌と合わせられる素朴な演奏」が指向されたことを論じた。ところがこの素朴さという点から、複雑で技巧的な演奏法を取り入れた琴という楽器自体を批判する知識人も出現する。しかし、いずれの場合も、文人文化を代表する楽器には、ほかの楽器あるいは歌と調和しながら、人々に「和」をもたらす役割が期待されている。

四人の報告終了後、高欲生氏(日本古琴振興会)によるオンラインコンサートが行われた。曲目は、中国の聖人・堯が作り「和楽」を表現するとされる「神人暢」、高雅な曲として「和するものがすくない」とされる「白雪」、二台の古琴と高度な技巧を駆使した「もののけ姫」である。その後パネルディスカッションを行い、「礼楽思想の「和」は、儒学の中でどのような意味を持つか。中国思想史、日本思想史においてどのような影響を及ぼしたか」「なぜこの研究をしようと思ったのか」「現代で古琴や中国音楽を学ぶというのは何を意味するのだろうか。学ぼうとする人とは、どのような人なのか」「礼楽思想の「和」は現代社会において何らかの意味を持つか」などについて議論をした。

参加者は30名以上に及び、音楽学の専門家から、古琴など伝統音楽を実践している方まで、幅広い方にご参加頂いた。また、参加者それぞれの見地から数多くの質問を頂き、発表者の研究にとっても大変有意義な場となった。

報告者:田中有紀(東洋文化研究所准教授)