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2020.11.20

【活動報告】UTokyo-PKU Joint Course 第7回講義 2020年11月13日

2020年11月13日(金)、第7回「UTokyo-PKU Joint Course」が開講された。第9回(12月4日)との二回構成で、中国哲学史、儒学、道家/道教などの分野の研究に力を入れている楊立華氏(北京大学哲学学部)を講師に迎えた。

講義では主に、中国近代において、博識な学者・思想家であると同時に、孫文や同盟会と強く関わる革命家として知られる章炳麟(1869-1936)の著書『斉物論釈』が扱われた。

画像リンク:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%A0%E7%82%B3%E9%BA%9F(11月18日閲覧)

1908年から1911年にかけての日本滞在中に書かれた著作である『斉物論釈』は、中国が直面していた窮地と、「文明」を格付けする文明論や進化論などの諸思潮への章炳麟の抵抗を背景としている。『文明論之概略』が提示した、西洋文明を文明の基準として、アジア諸国の文明が低くみなされるという構図に対し、中国の文明、及び他の非西洋文明がいかに自立できるかという問題を念頭に置きつつ、章炳麟はその答えを『斉物論釈』の議論に盛り込んだという。

 

章炳麟が考える「平等」はどのようなものだろうか。章は「兼愛」のような、形式上の絶対的「平等」を平等のあるべき姿ではないと考えたうえで、本物の「斉物」を「不斉之斉」だとする。章にとって、道徳の是非を安易に表面的な判断をすることは危惧されるべきものであり、こうした世俗的意味での「平等」は皆のためになるようにみえるが、実際のところ、戦争や暴力の口実として用いられる一面を併せ持つ。

講義の後のディスカッションでは、次のような議論が行われた。紛争などが主観的論理の相違からくるものである一方、言語自体に内在するロジックに根本的な相違が存在することがあるのではないかという質問に対し、楊氏は次のように応答した。言語の問題も大事だが、あらゆる紛争は言語の問題からくるわけではないと指摘した上で、荘子も章炳麟も具体的な「知」の不確定性を強調しており、絶対唯一の真理が存在するとの主張(たとえば文明論的論調)には侵略と植民地主義の大義名分として利用される危険性が潜んでいると述べた。

次回は、最も優れた哲学的言語と章炳麟にみなされた唯識学、及び章に唯識学をもって解釈された荘子、そして時代のコンテキストにおける唯識学の諸相などに関して講義が展開される予定だが、難解なテキストにあっても学生の興味をそそり、受講者に深い思考を促す講義が期待できよう。

報告者:徐莎莎(EAAリサーチ・アシスタント)