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2021.11.25

映像制作メモランダム(8)

721日に7本目のメモランダムが記されて以来、4ヶ月が経過してしまった。その後、蝉の声がうるさかった長い夏を経て、短い秋が終わって、11月も下旬となった。7月にはまだシナリオも固まっていなかった101号館映像制作プロジェクトは、8-9月にシナリオが固まり、10-11月に資料や人物の撮影、11月に声の吹き込みを終えて、もう素材は撮(録)り終わり、あとは全体の編集を待つばかりとなっている。まずは、この間、そうした作業にかかりっきりで、メモランダムが執筆されなかったことをお詫びしたい。

さて、そのような構想、制作の作業を終えた今の段階で、シナリオ(小手川将監督と共同で)と、声の出演(6人のうちの1人)を担当した筆者から、「制作」ということについて、いくらか語りたい。

筆者と映像制作との関わり方は、関係者の中でも特異である。本作は、旧制第一高等学校(一高)を研究している大学院生が主人公となっているが、筆者はまさに一高を研究している大学院生であり、早い話が、本作の主人公は筆者がモデルになっている。シナリオというのも、筆者が、駒場入学以来の紆余曲折した大学、大学院生活について、その間で抱かれた思いについて、まずは独白録を書き、監督との共同作業の中でシナリオに仕立て上げていくというプロセスが取られた。作品への関与の仕方として、制作サイドと出演者(声および姿の)があろうが、両方にまたがって関与しているのは筆者だけである。

この映画がドキュメンタリーであるのか、フィクションであるのかということにも関わるが、まずドキュメンタリーそのものではない。筆者の人生行路を基にしているとはいっても、そこには創作や演技の契機がある。こと筆者に関しては、シナリオを制作するに当たってと、そのシナリオに沿って、声を吹き込むに当たってと、二重に創作、演技の契機があった。

まず、シナリオ作成段階では、筆者本人は創作ということをあまり考えられなかった。求められるままに、かなり特異な学生生活(8年間で3回、同じ学部を卒業した上で、大学院に進学したということで、ひとまず量的にその特異性は理解いただけるだろう)を開陳する以上に、それをどう見せたいか、そうしてどのような映画にしたいかということは、見出せなかった。それを引き出したのは、監督との共同作業である。他者の目が入ることで、筆者の人生行路は、作品として立ち上がり始めた。

本作は、研究者の実存的状況と、研究対象への志向との関係性を主題の1つとしているが、通常の研究活動では、研究者自身の実存的状況というのは顧慮されないか、客観性を装うために隠されさえする。1人で研究をする場合、自身の実存的状況は、自ら逃れ難い故に、そこから離れ、つまりは自由な立場に立つことが要請されるものかもしれない。しかし、今回のように、共同作業をする場合、自ら消去するという形ではなくて、他者の目に照らされるという形で、主題化され、それによって、自らの実存状況を対象化して、そこから自由になることが構想されてよいかもしれない。他者の目を通して、自らの人生を主題化し、自分の人生に対して自由な立ち位置を取ること。そのようなリベラルアーツ、自由になるための技法が考えられてよいのではないだろうか。

声の吹き込み段階について言えば、本作のシナリオとは筆者にとって自分の人生であり、それに声を吹き込むことは、文字通りの自作自演であった。声を吹き込むに当たって、筆者自身の課題となったことは、一方では自身の経験や思いが語られているセリフについて、他方では一高生の残した記述を読み上げるに際して、気持ちが入りすぎて、早口になりすぎるということだった。それはおそらく、自身の人生と、そに投影されてもいる一高生への想いについて緩急をつけることだったと思う。人生はただ生きられるだけでなく、後から振り返られ、そこに緩急がつけられることで、絶えず意味づけが更新されていくものだろう。

万人が万人に、映画化その他の題材化を通して、自分の人生を見つめ直、他者の目に触れさせることを通して、そこから自由な立ち位置に立とうとすることが可能というわけではないだろう。しかしそれでも、一つのリベラルアーツとして、人生から自由になる一つの手法として、映画制作というのは、「使える」のではないだろうか。それが今回、大学において、リベラルアーツとしての映画制作を志向しながら、自分の人生を文字通りに捧げた者の実感である。

 

 

報告:高原智史(EAAリサーチ・アシスタント)
撮影:一之瀬ちひろ(総合文化研究科博士課程)