ブログ
2022.09.22

【報告】第10回 EAA「民俗学×哲学」研究会

2022年9月17日、徳島県東みよし町で10回目のEAA「民俗学×哲学」研究会が開催された。樹齢千年とも言われる巨大な楠のそばにある、おおくすハウスにて、おおくすセミナーとしての開催でもある。

会場近くの大クス

東みよし町へは、EAAから元EAAリサーチ・アシスタントの報告者と、田中有紀氏(東洋文化研究所准教授)の二人が訪れた。訪問は、報告者は今年の3月に続き2回目。田中氏は初めて。張政遠氏(総合文化研究科准教授)が3月に報告者らと、6月には一人で訪れており、EAA全体では3回目となる。
報告者と田中氏は、昼前に高松空港に降り立つとまず、山泰幸氏(関西学院大学教授)と落ち合った。山氏は、東みよし町で長らく活動をしており、おおくすセミナーや翌日の哲学カフェの世話人もしている。
香川のみならず、徳島でもうどんはポピュラーな食べ物だそうだが、昼食のため、うどん屋に入った。今回のセミナーや翌日の哲学カフェには、韓国の撮影クルーが同行したが、彼らとも合流した。また、地元の島尾明良氏(元東みよし町役場職員)ともここで合流した。うどん屋を出て、島尾氏の自宅のところで、早速、山氏や島尾氏のインタビューや、両者の対談風景が撮影された。

撮影風景

その後、おおくすハウスに移動して、いよいよ研究会が始まった。講師は木下巨一氏(元長野県飯田市職員)。「自治と協働の地域づくり――住民も職員も学び育つ飯田型公民館の取組」と題された発表だった。

講師の木下巨一氏

長野県は公民館数が日本一だという。また、戦後初に公民館ができたのも長野である。戦後、国任せでなく、自分たちで判断をして、自力での復興が、民主主義の学校としての公民館活動を通して目指された。
千代という地域では、保育園の存続が難しく、統合か民営化が迫られたところ、住民が必要な基金一千万円も調達し得て、社会福祉法人を設立し、保育園を維持した。これも公民館活動の賜物であり、先例を調べたり、条件整備に取り組んだりした職員の努力の賜物だという。
住民は「公民館をする」という言い方をするといい、市職員には住民に「巻き込まれる」、協働力が必要だと木下氏はした。
コメンテーターの岡田憲夫氏(京都大学名誉教授)は、行政の人事コースに公民館の活動を担当する公民館主事が位置づけられており、人材トレーニングの場として公民館が機能していると指摘した。また、市長が変わってもそれが変わらないこと、そのような、次のまた次の市長を住民が選んできたことの重要性を言った。また、未来に向かってこのシステムがどのように進化していくかが気になるとした。
田中氏からは、コモンスペースをいかに取り戻すか、という課題が提示された。また、飯田では保育園をつくることができたということに驚きが表明され、それに比して、東京等での変えられる余地の少なさが言われた。また、飯田の公民館活動のような基盤のない土地に、飯田の経験はどう移植できるかと問われた。職員と住民の自治体に対して、教員と学生の大学に対してはどうかとも問うた。
木下氏は、より人口規模の大きい尼崎市への移植の試みがあったと言った。人口45万人に対して5つの地域振興センターが当初あったが、飯田に比べて一個の規模が多すぎ、小学校区が自治の単位としてはふさわしいとした。尼崎市職員が飯田の公民館主事としてインターンに来ているという。
東京大学で昨年度まで文化人類学を教えていた岩本通弥氏(東京大学名誉教授)からは、飯田には柳田国男記念館があるが、関係はどうかと質問があり、柳田民俗学によって町づくりをしようとしていた先輩職員はいたと答えがあった。
生活改善運動との関わりは、という問いには、公民館単体ではなく、保健師等と組んで、健康づくりをしていく、コミュニティーワーカーを結びつける活動がなされていると回答された。

セミナーの様子。研究者以外に、手前側には地元の方の参加も。

セミナーを終えて、大学からの参加者は、民宿へ移動し、宿自慢のジビエ料理に舌鼓を打った。セミナーのコメンテーターであった京都大学名誉教授の岡田氏と関係のある、京都大学の防災関係の研究者が多く来ていた。コロンビアやギリシア、インド出身の研究者もおり、宿では英語も交えてコミュニケーションに花が咲いた。

翌日は、東みよし町にあるカフェ、パパラギで、哲学カフェが開催された。テーマは「愛と幸福」。それについて考えたことを二十人ほどの参加者が順に話すという趣向である。張政遠氏もZoomから参加した。参加者の半分は、前日以来の大学関係者だったが、残り半分は地元の方々であった。各々、愛と幸福について語ったが、例えば、愛とはもともとあってそれに気づくもの。自分が与えた分だけしか愛は理解できない。、先生から受けた愛は学生を教えるようになってからその分だけ分かる。かけがえのない、危難を代わってやりたい、それが愛の対象。あてにされる、役割があるときに幸福が感じられる。私が死んだら泣いてくれる人がいる、それが生きる理由になる、といった意見が出た。

哲学カフェ後の報告者、田中氏、山氏(左から)

哲学カフェも終わり、あとは空港へ行って東京へ帰るだけのはずだった。台風接近のため、飛行機を早めたりもしていたが、欠航となってしまい、四国から出られなくなっていた。幸い、島尾氏が自宅に宿泊させてくれることになり、難を逃れた。オンラインではなく、実地に行ってこそのハプニングであったが、その分、非常時の東みよし町を垣間見ることができた。現地はそれほど雨風も強くなかったので、いくらか町内を車で回った。台風に備える住民の方々の行動が見られた。島尾氏も自身が耕作されている農地へ行って、イノシシ避けの仕掛けのバッテリーを回収していた。

バッテリーを回収する島尾氏

翌日も飛行機は飛ばず、1泊2日のはずが、3泊4日の旅となってしまった。今回の旅で印象的だったのは、山氏が、ここ東みよし町では、こういう時に、国内外から研究者が集まってきて、シンポジウムみたいなことをやっている。都会でやるよりよっぽど国際的で、エキサイティングだ、と言っていたことである。前述したように、今回も、我々EAAの他に、主に京都大学の関係から、複数の国籍の研究者が集まってきていた(おおくすセミナー、哲学カフェでは、部分的に同時通訳が自主的に行われていた)。我々が集まっていったのは、その土地の利便性などによるのではなく、むしろ地域性によってである。地域としての課題が人を集める。人が集まる書院ということを標榜しているEAAにおいては、この、地域に集まる、ということを、もっと推し進めていっていいのだと思う。

 

報告者:高原智史(総合文化研究科博士課程)