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2023.01.12

【報告】EAA/TLPセミナー

2022年1222日、教養学部で中国語TLPを担当されている白春花先生より「言語使用頻度は成人学習者の文理解過程へ影響するか  – 主要部後置言語の関係節の構造的曖昧性構文の処理を中心に 」というテーマで講演いただいた。人は文章をどのように解釈しているのかという問いは、白先生ご自身の専門である一方、普段当たり前のように言語を用いている我々にとって深く関わりのあるテーマだ。

講演の前半では、関係節の曖昧性について具体例を交えながらの紹介がなされた。特に焦点が当てられたのは主要部後置言語で、日本語の他に、中国語、トルコ語、モンゴル語、韓国語などがこれに該当する。実際、我々は普段の生活において日本語における関係節の曖昧さにたびたび遭遇する。例えば、「誰かがバルコニーにいる女優の召使いを撃った。」という文を考えてみる。「この文を読んで、みなさんはバルコニーにいるのは女優と召使いのどちらだと思いますか。」と白先生は問う。「バルコニーにいる」という関係節が「女優」と「召使い」のどちらを修飾しているのか、この文だけでは解釈を断定することができない。こういった構造的曖昧性が本講演会の鍵である。英語やスペイン語など他の言語でも構造的曖昧性は見られるが、日本語や中国語などの主要部後置言語は文の解釈が特により複雑になりうる。なぜなら、人は文を前から順に即時的に解釈するため、主要部より関係節が先に解釈される主要部後置言語では、文を解釈する途中で主要部を変更して解釈する場合、一度関係節を再構築しなければいけないからだ。例えば先ほどの文を解釈する際、「バルコニーにいる女優」の部分まで読んだだけでは、バルコニーにいるのは女優だという解釈しか存在しない。しかし、「バルコニーにいる女優の召使い」まで読むことで初めて二つの異なる解釈が生じる。ここで、もしバルコニーにいるのが召使いだと解釈するためには、その前の解釈、つまりバルコニーにいるのは女優だという当初の解釈を再構築しなければいけないのだ。

講演の後半では、主要部後置言語である日本語、中国語、トルコ語の3言語における関係節の解釈処理について論じられた。というのも非常に興味深いことに、同じ訳となる文章でも、言語によって解釈傾向に違いが見られるのだ。例えばもう一度「誰かがバルコニーにいる女優の召使いを撃った。」という文章に立ち返ると、日本語やトルコ語ではバルコニーにいるのは召使いであると解釈する人が多い。しかし、中国語では女優を主要部と捉えて解釈する、つまり女優がバルコニーにいると文処理する人が多いのだ。本講演ではさらに、日本語を学習する中国語話者やトルコ語話者を対象として、第二言語の学習者の解釈は第一言語の影響を受けるか否かについて、実際の実験データの考察がなされた。発表の最後には、主要部後置といった言語類似性が文処理に影響を与えるのか、また学習者の解釈方法は習熟度別に異なる処理プロセスがあるのかという白先生からの更なる問いの提示で締め括られた。

質疑応答の時間には、石井先生や鄧先生も交えて議論がなされた。文構造以外の要素、例えば文脈や暗示、付属情報の重要度などが文処理に与える影響、さらに英語学習の経験の考慮の必要性の有無など、議論は多岐に渡った。さらに日本語を学んだ中国語母語話者と中国語を学んだ日本語母語話者として、講演参加者の間でも日本語や中国語の文処理解釈について話し合い、解釈プロセスの違いを体感することができ、大変興味深い経験となった。

私自身、白先生には中国語の授業で3年もの間大変お世話になっているが、白先生ご自身の専門研究について本格的にお話を伺ったのは今回が初めてであった。我々が普段何気なく使っている言語を如何に処理しているかというのは、大変身近な事象である一方で未だに多くの謎が秘められている。今回ご自身の研究を紹介してくださった白先生、そして講演や議論に参加いただいた方々に感謝する。

報告:熊木雄亮(EAAユース)