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2021.04.08

【報告】EAAキックオフトーク「価値と価値化を問う」

2021年4月1日(木)の午後、EAAキックオフトーク「価値と価値化を問う」が対面・オンラインのハイブリッド形式で開催された。石井剛氏(EAA副院長)が進行を担当し、中島隆博氏(EAA院長)、國分功一郎氏(総合文化研究科)、佐藤麻貴氏(総合文化研究科)、王欽氏(総合文化研究科)、張政遠氏(総合文化研究科)が登壇した。そこにEAAユース(RAを務める大学院生とEAA1期生、2期生)も加わった。

 

 

最初に発言した中島氏は「空気の価値化」について、空気を商品化するという「工学的」な発想を批判し、「社会的共通資本」(宇沢弘文)すなわち商品化できないコモンズとしての空気や水を考えるにあたって「価値」を問い直すべきだと述べた。そして資本主義における商品化や消費とは異なる仕方の価値・価値化に目を向け、人間の経験の変容、人々の生を営むチャンスとしての価値・価値化もあるはずだとした。さらにこのような問いを言語化する必要性も強調した。

次に國分氏はドゥルーズの価値論を援用して、自然のなかにいるにもかかわらず、人間の目的は必ず何らかの価値となって間接的に実現されるが、そういった価値にはつねに欺瞞があり、誰かの利益に奉仕することを指摘した。そのうえ、民主主義より立憲主義のほうが危機的な状況にある今日の社会では、ニーチェやドゥルーズの価値批判を受け止めつつも、何らかの価値を信じることはやはり大事だから、価値を批判的に捉えながら、新たに作り出していくことこそ現今の課題なのだと語った。

続いて佐藤氏は自身が参加したドイツのハンブルクにあるThe New Instituteでの議論を踏まえ、気候変化などエコロジー上の制約を考慮に入れたうえで、デモクラシーや自由意志のような、人々が共有しうる価値、カップリングすべき要素としての価値をどのように正当化していくかという問いを提起した。そして価値のあり方を考える際に、パンデミックで「日常」の変化が余儀なくされている今日だからこそ、人間同士が本来持っていた信頼(trust)を回復し、世俗化した社会でコモンズを復活させることは重要だと述べた。

三人の発言を受けて、石井氏は価値になるものへのアプローチの不平等を指摘し、例えば空気のようなコモンズに対するアプローチの仕方の平等性をいかに担保するかという問題を投げかけた。それに対して國分氏、中島氏、佐藤氏からは、民主主義の悪用、行政権の肥大化、コミュニティー内の調整など多角的な視点での応答がなされた。

その後、同席した王欽氏と張政遠氏もコメントを述べた。

王氏は名詞としての「価値」と動詞としての「価値化」との緊張関係に着目するとともに、価値を生きることと価値を信じることの違いを指摘した。王氏によれば、何かを信じるという意志のなかにはつねにすでに自分との距離感があって、そこに自己欺瞞が内包されるので、価値のなかに価値化の契機を見つけ、あらゆる概念を不穏なものとすべきである。モノの価値は歴史的に形成された交換関係から生じた偶然的なものである以上、私たちに残される道は、偶然に満ちた日常生活において商品だけでなく自分自身の生き方にも馴染まず、未知な他者に遭遇することであるという。

張氏は東アジアという現場の視点から、まず香港における民主主義の絶望的な状況に触れつつ、価値の序列化問題を取り上げ、生を捨てて義を取るという価値観に対して生の価値を無限に高めることは全体主義に対する1つの究極的な対処法だと述べたうえ、よりよく生きていくための希望を新たにEAAという「書院」に託した。次に福島での見聞を紹介しながら、水の「価値」は比較によって序列化されることを問題視すると同時に、「値段」にとりつかれず、自ら身体性をもって「価値」を見る目を養う必要があると述べた。

 

 

さらにシンポジウムに参加した学生たちからは、価値の普遍性、価値と意味の関係、現代社会におけるコモンズの構築の困難さ、価値を発見して「演ずる」ことの重要性、既存の価値に対して価値化する契機を探る具体的な方法、価値観の普及などについて、多くの質問や感想が寄せられた。それに対して登壇者たちがまた応答する形で、議論がヒートアップした。新年度の初日を飾ったキックオフトークは、価値という今日の消費社会で自明視されがちな概念を問い直し、来るべき世界を構想するための手がかりを共有でき、盛況のうちに幕を閉じた。

報告・写真撮影:郭馳洋(EAA特任研究員)