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2021.06.15

【報告】連続シンポジウム「世界哲学・世界哲学史を再考する」第4回「中世と近世のあわい」

『世界哲学史』(全8巻+別巻、ちくま新書)

2021年531日、連続シンポジウム「世界哲学・世界哲学史を再考する」の第4回「中世と近世のあわい」がZOOM にて開催された。この連続シンポジウムは、2020年に筑摩書房から刊行された『世界哲学史』シリーズ(全8+別巻)の編者である納富信留氏(東京大学人文社会系研究科)をオーガナイザーとして迎え、「世界哲学(史)」という概念を再構築し、その方法論的な意義を探る試みの一環である。

今回のシンポジウムでは、オーガナイザーの納富氏に加えて、同じく『世界哲学史』シリーズの編者であり、第3巻第1章、第4巻第1章、第5巻第13章、別巻第2章を執筆した山内志朗氏(慶應義塾大学文学研究科)、第4巻第9章「鎌倉時代の仏教」を執筆した蓑輪顕量氏(東京大学人文社会系研究科)、第5巻第2章「西洋近世の神秘主義」を執筆した渡辺優氏(東京大学人文社会系研究科)が登壇し、世界哲学史における中世と近世の意義をめぐって各自の専門的な視点から提題した。それに加えて、コメンテーターを務める田中浩喜氏(東京大学人文社会系研究科・博士課程)が自身の研究分野に基づきつつ、三つの報告に対してコメントを述べた。

最初は納富氏から今回のシンポジウムの趣旨に関する説明がなされた。氏によれば、『世界哲学史』シリーズで語られる「中世」は7世紀から17世紀へと続く長い時代を包摂する概念となっており、通常近代とみなされる事象も中世という枠組みで議論されている。納富氏は「中世」という概念自体の曖昧さに警戒を示しつつ、「中世」を軸に哲学史を見直す際に看過できない時代区分、宗教と哲学の関係、交通・メディアの変化といった基本的な論点を整理した。さらに、中世という視座からの領域横断的な研究の可能性を展望し、西ヨーロッパと東アジアの中世の共通性、イエズス会の布教活動を背景とする「旅人」の出現、「辺境」としての日本の位置づけ、理論ではなく実践・体験・身体性としての哲学など、複数の切口を提示した。

納富氏による趣旨説明のあと、一人目の発表者である山内氏は「バロック・スコラから見た世界哲学」と題する発表を行なった。山内氏は中世という名称が多くの問題を含んでいるとはいえ、それを手放して性急に新たな時代区分を作るよりも、むしろ世界哲学の観点から着眼点を洗練していくべきだと主張し、古代、中世、近代という通常の時代区分が流動化して見えるバロック・スコラ期に焦点をあてて議論を展開した。氏によれば、中世という時代を設定することは「帝国の転移」(translatio imperii)の叙述、すなわち一時期途絶えたギリシャの古典・古代の規範性を自分が継承するという正統性の主張を可能にした。また、中世を「闇の時代」とする紋切り型の認識を批判して、フランシスコ・スアレスらイエズス会士の哲学が実は経済思想と密接に結びつき、営利活動を正当化する論理を志向したこと、唯名論が経済思想、宗教思想と強く関連すること、13世紀に伝来した「理虚的存在」(ens rationis)という概念がのちの哲学史に大きな影響を与えたことを指摘した。山内氏からすれば、世界哲学史という観点から中世哲学を組み直す場合、従来の図式を相対化し、当時の利子肯定論や個人主義といった人間の有限性という視点が必要になる。そこで山内氏は、世界規模の貿易・メディア・技術の成長を背景としたイエズス会の活動に、資本主義につながる発想を見出した。この点では中世という時代が必ずしもネガティブなものでなく、現代もまた新たな中世といってよいと、発表を締めくくった。

続いて蓑輪氏が「教理と実践:古代・中世の仏教者の見ていたもの」という題で報告を行なった。蓑輪氏はまず仏教の時代区分と歴史学のそれとの違いを指摘し、中世日本の仏教の主流は古代から受け継いだもので、その二つの重要な流れとして学問研鑽を中心するものと、修行によって不思議な力を身につけたとされる修行実践を挙げた。次に日本で社会的な勢力をもつ天台宗と法相宗を重点的に取り上げ、その学問の場として法会を紹介した。中世において、寺内法会で研鑽を積んだ僧侶がより格式の高い法会(南都三会、三講など)に出仕できる点から、学問への重視が窺えるが、その一方で修行の伝統も継承されていくという。では当時実際にどのような議論が行われたのか。蓑輪氏にしたがえば、天台宗ではあらゆるものを絶対的に肯定していくとされる本覚思想(不二思想)が成立するのに対して、法相宗では解脱房貞慶らによって心のありようが正面から詳細に論じられており、つまり感覚器官で捉えた対象を心で描くと「戯論」(分別相・名言相・尋思相)が起きるが、真実はむしろ分別や言語を離れたところにあり、それを知りうるのは言語機能を介在させない無分別智によるほかないというような議論がなされている。蓑輪氏の見方では、中世の法然や親鸞などに代表される鎌倉新仏教の背景にはこのように以前から受け継がれてきた仏教者の内部で行われた知的営みがあって、そこから見えてくる問題点に対して独自の解決手段を提示する形で鎌倉新仏教が始まったのである。

渡辺氏は「神秘主義と愛知:世界哲学史と神秘主義研究の接点を求めて」という題で報告を行なった。自身の研究の主眼を神秘主義という概念の拡充、思想史におけるその位置づけに置いた渡辺はまずミシェル・ド・セルトーの画期的研究を紹介する形で神秘主義研究の現在を概観した。渡辺氏によると、以前の神秘主義理解が神的なものとの合一や現在の体験(見神)を中心としたのに対して、セルトーは、宗教的コスモスの崩壊と神の声の途絶えを背景としつつ「神秘主義la mystique」なるものが自立した領域を形成した近世(1617世紀)に注目して、神秘体験に執着せず不在の神をなおも希い、語ろうとする神秘家たちを描いた。またセルトー以後の研究は神秘主義の思想史上の意義を評価し、新たな記述の仕方を模索しているという。上記の研究状況を踏まえ、渡辺氏は神秘主義をあらためて世界哲学史というプラットフォームに位置付けることは、哲学と神秘主義の両方を問い直し、両者の接点である「愛知」を考えることだと述べた。そして神秘家を、完全な知を欠くがゆえにそれを追求する愛知者として捉える場合、「ことば」が最重要な論点になるということを、オルテガの議論やアウグスティヌスのテクストを援用しながら論じた。そのうえ、テレサ、ヨハネ、シュランのような中世・近世の神秘家に見られた神秘主義/哲学もしくは信/知の二項対立を超える可能性を示した。最後に、「神学的詩学」、「女性的」エクリチュールといった、今日のフェミニズム問題につながる問題提起をも行った。

三者の発表が終わったあと、近現代フランスにおける政治と宗教の関係を研究している田中氏がコメントを述べた。田中氏は世界哲学の試みに通じる「グローバル」な視点から「普遍」と「特殊」を問い直すという問題意識を共有している社会学研究を紹介したうえで、以下の三つの視点から発表者に質問を投げかけた。すなわち、1.「時間」の問題として、『世界哲学史』シリーズでは「近世」の位置づけをめぐって議論が分かれているが、そもそも世界哲学にとって近世という時代区分が有効なのか、あるいはどうすれば有効になるのか。また日本仏教史の観点から見ればどうなのか。2.「空間」の問題として、哲学もなんらかの「場」で生起する以上、帝国主義的もしくは自閉的な哲学ではなく、反省的で構築的で対話的な世界哲学を打ち立て、しかも地域的な多様性も視野に入れるには、どのような空間的な枠組みを措定すべきなのか。3.「概念」の問題として、近年問い直されている「世俗/宗教」という対概念は世界哲学とりわけ中世の哲学にとってどういう意味をもつのか、時代と地域を異にする「世俗/宗教」のあり方を言語化・概念化する試み(例えばJason Ananda Josephson2012)や小島毅(2017)の研究)は中世の研究にもできるのではないか。

その後、田中氏の質問に発表者たちが応答する形で盛んな議論が交わされていた。

私たちは不可避的になにかしらの概念を通して世界を分節し、認識を形成する。しかし中世/近世(ないし古代、近代)、哲学/宗教、世俗/宗教という、当たり前だとみなされがちな基本概念もしくは図式が必ずしも自明ではなく、それらに基づく枠組みからはみ出す「余剰」もあるということ、そしてそこに世界哲学(史)の新たな出発点があるということが、今回のシンポジウムにおいて一層明らかになったのではないだろうか。

報告者:郭馳洋(EAA特任研究員)

第4回シンポジウムの参加者からいただいたご質問・コメントの一部を紹介させていただきます。回答はシンポジウム発表者個人の意見です 

Q1

ヨーロッパの神秘主義を、近世以降の宗教の個人化、脱教会化、脱ドグマ化の先駆と見ることは可能でしょうか?

 

A.(渡辺)

可能ですし、しばしばそのように理解されてきました。ことは神秘主義をどう捉えるかという問題と切り離せませんが、私の発表で輪郭を描こうとした神秘主義の起こりは、神学(原義は「神がたり」)の、大学における専門学知化・男性聖職者による専有化が顕著になる12~13世紀に求められ、先駆者としてたとえばアントワープのハデウェイヒを挙げることができます。半聖半俗の生活を送った女たち(ベギン)の指導者であったともされる彼女の神がたりは、俗語(ブラバント方言)による、一種の宮廷愛文学でもありました。神を愛し求める、ほかの誰でもないこの「わたし」を自らのことばに刻みつけるが如きその言語活動は、学問としての神学の枠組みには到底収まるものではなく、それゆえ教会や神学者たちの畏怖と警戒を呼び起こすことにもなりました。この緊張は17世紀にかけて強まってゆくことになります。ラインラントの神秘主義がルターに与えた影響もよく指摘されるところです。ただし、「宗教の個人化、脱教会化、脱ドグマ化の先駆」という神秘主義観は、近世に強まった反神秘主義言説、また、19世紀末から20世紀半ばにかけて世界的に流行した近代神秘主義論のなかで強化されたということに留意する必要があります。このあたりの議論はもう少し丁寧にしなければなりませんが、少なくとも、「中世と近世のはざま」の神秘主義における言語活動を、脱教会化、脱ドグマ化した近代的個人による内面的体験の独白と単純に重ねることはできません。ハデウェイヒにとって、あるいは十字架のヨハネやスュランにとっても、教会も「ドグマ」(この語の意味も時代のなかで変化しました)もなくてはならないものだった。そして彼女・彼らの「わたし」の語りは、すなわち「わたしたち」の語りであり、愛する者たちのあいだの語り合いでもあったと思われるからです。

 

Q2

蓑輪先生にお尋ねいたします。本日お話しいただいた古代中世の仏教研究者たちは、神話などに表われるような日本土着の世界観に、研究成果を接続、定着させようとしていたのでしょうか。神仏習合のような試みには積極的だったのでしょうか、それとも無関心だったのでしょうか。

A.(蓑輪)

日本に仏教以前から存在した信仰との接続には、おそらく古代から(資料的には奈良朝の初期から見えてきますので)、仏教者たちにとって感心の対象だったと思います。土着の信仰と結びつけるために、神が神の身を止めたいとか、神は仏法を守護するのが使命なのだ、神と仏は別々なのだといった素朴な言説が、神社やお寺の縁起に見えてきます。積極的に神仏習合を言うのは平安時代後期以降で、所謂、本地と垂迹という関係が語られるようになります。しかし、積極的に唱えかつ理論書的なものを作成するのは、鎌倉以降の時代だと思います。そのような中で、逆に神は神として自立した存在で、仏と同様に救済者になり得ることが語られていくような気がします。この辺りの研究は、茨城大学の伊藤聡先生が詳しいので、そちらをご覧ください。