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2022.01.20

悦びの記#3(2022年1月19日)

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 EAAの活動は教員や研究者だけが行っているのではなく、学生もまたその中心的な主体です。研究だけではない、身体性と社会性を伴った生活をも含めて「学問」であると考えるわたしたちにとって、こうした活動の参与者はみな一様に「学者」と呼ぶのが相応しいでしょう。来るべき書院における学問はかかる意味での学者たちの共同作業にほかなりません。EAAでは、学生として「学者」の一翼を担うグループのことをEAAユースと呼んでいます。

 EAAユースが発足したのは、新型コロナウイルス感染症の影響が中国で広がり始めているときのことでした。2020年2月に計画されていた北京大学の学生たちの訪問は、中国政府が1月27日付けですべての団体海外旅行を禁じたことでキャンセルされ、急遽、東大の学生だけで行う2日間のセミナーに切り替えられたのが、ユース生の活動の始まりでした(このとき「ユース」という名称はまだありませんでしたが)。しかし、その後の状況に関しては誰もが知るとおりで、今日に至るまでキャンパスでの活動は著しく制限されています。

 こうした歯がゆい状況の中でも、ユースの活動はオンライン・ベースで盛んに行われています。サマー・インスティテュートは2年連続で開催できましたし、オンライン読書会YouTube企画、海外研究者を招いたセミナーといった、ユース生が自ら企画して組織する活動も多く行われています。また、今年度は月に1回、教員とユース生が集う定期ミーティングも行われるようになりました。昼休みの1時間弱を利用して開かれるミーティングでは、「3分間トーク」と題して、毎回1名のユース生が自由に話題提供をします。互いに何を考えながら日々を過ごしているのかに触れることのできる貴重なチャンスであり、さまざまな意見が飛び交い賑わっています。

 去る1月18日には今年度最後のユース・ミーティングが開かれ、熊木雄亮さんからWhat I Wish I Knew When I Was 20の読後感から、20代を生きること、かつて20代を生きたことに関してどのように感じ、どのように考えるかについての話題提供がありました。

 学部の3年生や4年生の彼らにとって、20代最初の数年は人生選択のだいじな時期であり、人生の先輩である研究者たちの経歴や業績をインターネット上で探りながら、自らの人生設計のヒントを求めているという声もありました。すべてが未決のままにあるモラトリアム状態から卒業後の進路選択を迫られる過渡期へと歩みを進める彼らには希望よりも不安の方が大きいのだろうと思います。わたし自身もそうでしたから。「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」と高村光太郎が唱ったのを思い出しますが、実際に人生の道とはきっとそのようなものなのだろうと思います。

 道に迷い悩んで先輩たちの歩んだ道を垣間見てみたい場合にわたしが皆さんにお勧めしたいのは、宮本久雄先生の歩まれた道です。ここでは敢えてそれがどのような道であったのかは申しませんが、その教え子であった中島隆博先生との間で交わされた美しいダイアログの内容が、EAAブックレットとしてウェブ上で全文公開されているので、関心のある方はぜひご覧ください。きっと宮本久雄という一人の学者のスケールの大きさに圧倒されるにちがいありません。そして、肝心なことは、宮本先生の学問が、つきつめれば「歩く」ことに発しているということです。歩くことが学問の根源であると言えるなら、人生もまた歩いて行くほかないものであるかぎり、その道のりそのものが遠大な学問の途であるということができるでしょう。どのように歩くのか、決まったセオリーはどこにもありません。しかし、わたしたちが歩いた後には、きっと道ができているはずです。

 ユース生の皆さんの道はEAAという場で交錯していますね。それが一人一人の将来にとってかけがえのない経験であることを願うばかりです。ゆっくりと、踏みしめる足下の感触を確かめながら歩き続けていきましょう。

石井剛(EAA副院長/総合文化研究科)