ブログ
2021.02.15

東京大学経済学部資料室 アダム・スミス文庫見学会

クリスマス間近の2020年12月22日、EAAスタッフ四名(石井剛、田村正資、伊野恭子、若澤佑典)は、本郷キャンパス内の経済学部資料室を訪れた。野原慎司氏(経済学研究科准教授)および小島浩之氏(経済学研究科講師)コーディネートのもと、アダム・スミス文庫をはじめとする、資料室の蔵書見学会が目的である。経済学部が所蔵する史料は、ウィリアム・ホガース版画コレクションやイギリス鉄道関係資料、東アジアを中心とする古貨幣コレクション、新渡戸稲造旧蔵書など、多岐に渡っている。その広い射程は、経済史・経済思想史を専門としない者にとっても、ドキドキ・ワクワクを感じるたいへん魅力的なものだ。

本見学会の目玉である「アダム・スミス文庫」は、近代経済学の祖と呼ばれるアダム・スミス(1723~90)が、生前所蔵していた書籍のコレクションを指す。晩年のスミスはおおよそ2300冊の書籍を所有していたとされるが、20世紀初頭、そのうちの約300冊が新渡戸稲造(1862~1933)によって購入され、東京大学経済学部に寄贈された。これが「アダム・スミス文庫」成立の経緯である。1923年の関東大震災では、火災の中から蔵書が救出されたり、第二次世界大戦中は焼失を防ぐため、書籍が山梨県立図書館に疎開されたりと、文庫に携わる人々の涙ぐましい努力と燃え上がる熱意によって、コレクションが保存・継承されてきた。

スミス文庫の学術的価値は、複層的な広がりを持っている。第一に、コレクションを通じて、スミスの知的形成や思想上の影響関係が浮かび上がってくる。いったいスミスは、どんな書物を読んでいたのか。個々の書籍はいつ・どこで出版された、どのヴァージョンのものなのか。見学会では野原氏が所蔵品のなかから、トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』などを具体例に取り上げ、解説を行ってくれた。また、文庫内の書物を実際に開くと、所々に書き込みが見られる。スミス自身の書き込みが含まれている可能性もあるが、スミスの死没後、後代の所蔵者の筆によるものも多い。この書き込みを確認するため、国外から研究者が訪れることもある。(一例を挙げれば、スミス伝の執筆者であるニコラス・フィリップソン氏が、イギリスから東大へと調査に来ている。)野原氏によれば、筆跡鑑定の専門家による書き込みの分析も、現在準備中とのことである。

さらにスミスの死後、彼の蔵書がたどった経緯、その継承・売買・移動の顛末は、広大なスケールで知の世界の変転を物語ってくれる。18世紀に花開いたスコットランド啓蒙、その担い手であったスミスゆかりの品が、ヨーロッパでも英語圏でもない日本で保存されている。これは驚くべきことであろう。東大のスミス文庫誕生には、国際協調に尽力した新渡戸稲造が携わっている。スミス自身の知的格闘や18世紀ヨーロッパの思想世界に加え、地域や国境を越えたアイディア/モノの伝播、20世紀の人々の足跡が、文庫をめぐるヒストリーから浮かび上がってくる。スミス研究や啓蒙思想史に限定されない、知のグローバル・ヒストリーに向かう視座が、文庫の学術的価値を構成する第二のポイントである。

新渡戸稲造による蔵書購入・経済学部への寄贈経緯は、有江大介氏(経済学研究科客員研究員)から解説をいただいた。まず、1919年7月から1920年11月にかけての、新渡戸ロンドン滞在に焦点が当てられる。当時、国際連盟事務局は(ジュネーヴ本部設置までの仮措置として)ロンドンに置かれていた。国連事務次長であった彼は、その任をロンドンで果たしつつ、愛書家・集書家として、現地の古本屋巡りを楽しんでいた。その際、古書店のカタログで発見したのが、売りに出されていたスミスの蔵書300余冊である。新渡戸は東大の同僚である山崎覚次郎に手紙を送り、蔵書購入と(1919年に新設された)経済学部への寄贈意思を伝えている。有江氏によれば、新渡戸は蔵書をまとめて即決購入したが、各書籍を仔細に読みこんだ形跡は見られないという。実務家として各地を飛び回っていた新渡戸には、自分が寄贈した東大のスミス文庫を、じっくり閲覧する機会がなかったのである。スミスの「蔵書」は未読である一方、新渡戸がスミスの「著作」に触れていたことも、有江氏から指摘があった。スミスの死後に出版された抄録版の『国富論』(Select Chapters and Passages from the Wealth of Nations, 1905)を渡英以前に読んでいたようである。いわゆる経済学の「理論」的関心ではなく、「植民政策」に関わる具体的・実務的マニュアルとして接していた、とのことである。20世紀の政治経済・社会政策において、アダム・スミスは思想内容だけでなく、その存在そのものがアイコンとして用いられてきたが、新渡戸にとってのアダム・スミス/スミス文庫も、そうした地平を考える一例となるだろう。

スミス文庫に触れる第三のポイントとして、その物理的側面、「モノとしての書籍」が挙げられる。これまでの100年間、東大で蔵書がどう維持管理されてきたのか、貴重書の継承・活用をめぐる理念と実践について、小島氏より詳細な説明をいただいた。先述したように、スミス文庫は震災や戦禍といった危機に際して、書物に携わる人々の創意と機知を以って、散逸や焼失を回避してきた。終戦後は書籍の劣化に注意が向けられ、1955年から修繕事業が開始された。震災時の消火活動で水をかぶった本があったり、戦時中に行った貴重書の疎開時、運搬作業でダメージを負った本があったりと、メンテナンスの重要性が一段と高まっていた。この一大プロジェクトを担ったのが、専門技術者の服部政祐であり、彼の修復作業からは明治以降発展・継承されてきた、洋式製本技術の粋が見て取れる。また、この修繕作業では「原型保持」の方針が取られ、戦後日本における史料保存・アーカイヴ運営の先駆的事例となっている。文庫は①文字情報の集合体=「テクスト」であり、②所有や移動など文庫に関わる環境・プロセスが歴史を読み解く「コンテクスト」となるほか、③紙や糸といった「モノ」の総体でもある。この紙や糸もまた、過去と向き合う人々の理念や実践を示している。まさに、「モノは語る」のだ。

18世紀の書物をリサーチすることは、過ぎ去った世界を探検すると同時に、現在との格闘でもある。21世紀に入ると、デジタル・ヒューマニティーズの隆盛に伴い、文庫へのアクセスが新たな焦点となった。それまでの文庫運営では、貴重書の十全な「保管」を目指しており、損壊や破損のリスクを避けるため、蔵書へのアクセスは制限される傾向にあった。デジタル・アーカイヴの登場に伴って、貴重書をどう「保存」するかだけでなく、いかに「公開」するかという視座も、注目されるようになる。西洋古典籍デジタル・アーカイヴのプロジェクトが立ち上がり、スミス文庫はデジタル文献学のフロンティア/実験場となった。今回の見学で遭遇した史料も、東京大学OPACを経由して、ウェブ上で閲覧することが可能である。スミス文庫という知的空間は、過去を扱うけど新しい、古いものを突き詰めるがゆえに新しい、過去と現在が糸を成して未来を創出する場となっている。

貴重書室では史料と閲覧者の出会いから、新たな知の平面が創出されていく。スミス文庫の書物たちも、個々の研究者が探求するテーマによって、その可能性や領域を拡張・変容させていく。われわれが「スミス文庫の書物をどう活用しようかな」と思いめぐらせている時、それはとても創造的な瞬間なのである。18世紀のスコットランドで、スミス自身が道徳哲学や法学、修辞学といった分野を織り合わせる中、経済の学という新たな知的空間を切り開いたように、我々もまた、18世紀の書物と対話する中で、新たな知のかたちを模索することになる。世界哲学やグローバルな思想史について構想するEAAスタッフにとっても、スミス文庫は研究を育む対話の場となることだろう。野原氏、小島氏、有江氏の学問的情熱に感謝する。また、本報告書の執筆に際して、経済学部資料室の年報や有江氏の講演要旨などを、多岐に渡って参照した。これらもまた、経済学部が育んできた知的遺産である。我々がどのような平面をスミス文庫、そして経済学部の遺産と取り結べるのか、協働と検討を続けていく。東アジア発のリベラル・アーツ構想とアダム・スミスの世界、この二つは親和性がありそうだ。今回の訪問はEAAメンバーにとって、大きなクリスマスプレゼントとなった。

 若澤佑典(EAA特任研究員)