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2020.11.25

第1回 101号館映像制作ワークショップ

このたび、EAAでは101号館の映像作品を創るプロジェクトを開始した。その第1回ワークショップが、11月24日(火)17:00より101号館セミナー室で行われた。参加者は、高原智史氏(EAAリサーチ・アシスタント)、日隈脩一郎氏(EAAリサーチ・アシスタント)、小手川将氏(EAAリサーチ・アシスタント)、それから報告者の髙山花子(EAA特任研究員)の4名である。それぞれの自己紹介のあと、まず髙山が、今回のプロジェクト立ち上げの経緯と趣旨の説明をした。EAAは、駒場オフィスの位置する101号館が、旧制第一高等学校時代、中国からの留学生のための課程である特設高等科の学び舎であったことを受け、駒場博物館や駒場図書館に所蔵される当時の留学生資料の調査を進めてきた(一高プロジェクト)。それと連動して、今年の2月7日より、「一高中国人留学生と101号館の歴史展」と題し、建物の設計図や留学生の写真を101号館エントランスに展示をしている。しかし、新型コロナウィルス感染拡大の状況を受け、同年3月に予定していたシンポジウムと駒場図書館1階での展示は延期を余儀なくされ、エントランス展示そのものも多くの人の目を見ることは叶わなくなった。それを受け、展示の映像をオンラインで公開できないか、という話が浮上し、そこから発展して、関東大震災後のキャンパス計画を牽引した内田祥三(1885-1972)設計のこの建物そのものを、映像作品にするアイディアが生まれ、院生主体の制作企画が動き出すに至った。

左より、高原氏、小手川氏、日隈氏

 その後、高原氏より、旧制第一高等学校の校長を務めた狩野亨吉(1865-1942)に関するアーカイブの整理をはじめ、これまでの一高プロジェクトについての説明がされた。それから、1935年9月に行われた本郷から駒場への一高移転の際の行軍の記録映像を視聴し、当時の渋谷周辺や駒場キャンパスの様子と、一瞬映っている建設途中の101号館を確認した。また、最後、抜粋ではあるが、小津安二郎のモノクロサイレント『東京の合唱』(1931)に映っている本郷時代の一高の体操風景や、第21回紀念祭寮歌《 光まばゆき 》が同窓会で歌われる様子を見、一高生の世間での印象や、あるいはそれ以降の小津映画のショットとの比較について、意見交換を行った。

高原氏は旧制第一高等学校で発行されていた『校友会雑誌』を手掛かりとして、近代日本の青年たちの思潮を、日隈氏は及川平治(1875-1939)を中心とする近代日本教育思想を、小手川氏はアンドレイ・タルコフスキー(1932-1986)をはじめ、映像にとどまらず、ロシア文化をひろく研究している。一高が駒場に移転した1935年は、満州事変を経て、日中関係が極めて緊張していた時期である。どうやって、歴史に対する批判的な眼差しを持ちつつも、建築として残存するこの101号館の記憶の手触りを形にできるのか。どのような作品を創ってゆくかについては、これからワークショップを重ねながら構想を具体化してゆく予定である。「感性」という概念そのものを絶えず問い直しながら、それでもなお感性を働かせて、これから作品を創ってゆくための記念すべき最初の集まりになったと思う。

報告:髙山花子(EAA特任研究員)