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2020.12.11

Look東大・EAAデー ラップアップセッション

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 10月26日11月5日11月13日とおよそ2週間の間に3回行われたシリーズ企画「Look東大・EAAデー」で、それぞれ伊達聖伸さん、國分功一郎さん、武田将明さんが毎回どのように趣向を凝らしたのかについては、すでにこのブログで報告したとおりです。12月1日には、この3回が参加者の皆さんにとってどのような時間であったのかを振り返るために、当初は予定になかったラップアップの場が設けられました。日ごろの業務も相当お忙しいと思うのですが、その中から2時間という短くはない貴重なお時間を割いて、ダイキン社員12名の方がお集まりくださいました。また、EAAからも学部生向け教育プログラム「東アジア教養学」のプログラム生が1名参加しました。

 このラップアップセッションだけではなく、各回の講義は、登壇者がただ話題を提供して参加者がそれを聴くというものではありませんでした。それは「講義」という名には似つかわしくはない協働であり、参加者と登壇者が共に織り上げた作品でした。3回のイベントに先んじて行われた中島さん主宰の『全体主義の克服』読む会では、会の最後に中島さんから参加者に不思議なリクエストが出されました。それは、「あとがきを書いてください」というものです。参加の感想を書くのではなく「あとがき」を書くというその発想はとても魅力的なものです。本の作者にのみ許された「あとがき」を、講義を聴いたひとりひとりが書く。それは、その場が「語る者」と「聞く者」によってではなく、「共に織り成す者」によって構成されていたということ、議論を共にした経験そのものが、そこにいた人すべてにとっての協働の作品であったということを示すからです。したがって、Look東大の3回ではいずれの回にも必ず「あとがき」を皆さんにお願いしました。ロールプレイ、3人一組のディスカッション、スプレッドシートの共有など、いずれにおいても、わたしたちは皆で、頭と口と目と手を動かしながら共にその回を造り上げてきたと言えるでしょう。だから、この3回(中島さんの回を含めて4回)は、たしかに「講義」ではなく、文字通りの協働だったのです。

 もともとこの企画は「人文系」の試みという位置づけで始まりました。「わたしたち技術者は工学の知識だけで働いているわけでは無い。人文科学・社会科学の知を活かせばもっと大きな成果が得られただろう仕事場面はこれまでに何度もあったはずだし、今後もあるはずだ。人文科学の可能性を掴みたい。」と、エアコン製造メーカーの技術者らしく、小林直人さんはこのように人文学に対する期待の声を寄せてくださいました。しかし、結局のところ「人文系」、「人文科学」、「人文学」とは何なのでしょうか。それは企画全体を貫く問いであったように思います。「人文学の先生は言葉・文章に対する読込む力や自分の考えを発信する力が磨かれていて、LOOK東大での対話の上手さに驚いた。」、「哲学や人文学といった、これまでに積極的に取り組んでこなかったものも、食わず嫌いせずに取り組んで、新たな気づき、知を得る。」というように、参加者の中にはこの企画を通じて、これまでとはどこか違った世界の様相があり得ることに気づき、そこに人文学の魅力を感じてくださった方もいました。

 一方で、自分が知らない世界を、自分の生活とはちがう別種の世界ではなく、自分の世界としてとらえることはいかにして可能になるでしょうか。それは、言い換えれば、自分自身が変化するということにほかなりません。

 「自分の世界をどんなものにしていきたいかは自分次第。自分が作った世界に責任を持って生きたいと思う」と力強く言った人は、「自分の世界は自分が意識して認識して取り込んだものでできている。ゴミの話も貧困の話にしても知らなかったら“ない”世界だが、知ったら自分の世界の一部になる。」とも言います。しかしまた別の人は、「日ごろから読書はしているが、これまで自分がしてきた読書は、ただ活字を読んでいたにすぎないことを思い知らされた」と吐露していますので、「意識して認識する」ためにはそれなりの工夫やしかけが必要なのかもしれません。「今目の前で起きていることを真っ白な目で見つめ」たいと稲田幸博さんは言いますが、半田陽一さんはそれに対して「自分の意見を相手に押し付けてしま」うことがあると反省気味に語っていますので、なおのこと、「意識すること」「真っ白」に見ようとする姿勢は大事そうではありますが、そう簡単なことでもなさそうです。

 わたしたちの議論は、マイケル・ピュエットの「かのようにの礼」にも及びました。この風変わりだが斬新な切り口で中国哲学に新風を吹き込む哲学者はこう言います。

  自分を変える力にするためには、通常のあり方を離れることが、自分のさまざまな面を育てることにつながると気づかなければならない。(マイケル・ピュエット&クリスティーン・グロス=ロー『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』、51ページ)

そのための方法は、しかし、とてもシンプルです。ピュエットは孔子こそは「礼」を通じて日常のパターンを打破し、自分を変える力を得ることができることをよく知っていた哲学者だと言います。そして、日常の何気ないあいさつの中にこそ、その「礼」は含まれているというのです。 

  わたしたちは真実というものを重んじるが、実際は、親しい者同士は、しょっちゅう罪のないウソをついて新しい現実を築いている。〔中略〕なかでもよく使われるのは、「愛してる」だ。口癖のようにこの台詞を交わしているカップルも、おそらく年がら年じゅう心からの愛を感じているわけではない。〔中略〕しかし、「愛してる」と口にする礼によって、現実から離脱してどの瞬間も互いに心から愛し合っているかのようにいられる空間へ行き、二人の関係をはぐくむことには大義名分がある。カップルが〈かのように〉の愛を口にする瞬間、二人は本当に相手を愛しているのだ。(同上、61ページ)

 もしかすると、世界の認識を変えるためにどこか遠くの別世界を知ろうと努力するのと同じぐらい、いや、それ以上に、日常の中にこういう「瞬間」を作り出すことの方に、わたしたちが自分を変えるための力は蓄えられるのかも知れません。庄司健太さんは実際に家に帰ってやってみたそうです。「言葉を発する前の逡巡、発した後の羞恥、そして(予期された)冷ややかな反応。煩雑でしがらみの多い日常の中で私情を“エポケー”し、周囲にpleasantに振る舞うことは容易でないと実感した」と感想を寄せてくれています。「真っ白」になることは難しくても、このように、相手との関係のなかでその役割を敢えて演じてみることは、「意識」を喚び起こすためのきっかけになる、そうピュエットは説いているのです。参加者からの鋭い意見として、「礼」の実践にもまた「自分の存在を確認」する瞬間は含まれている、というものがありました。そしてこの瞬間は「「問うこと」の始まり」であるとその人は述べていました。

 思うに、人文学、いや、人文的な態度というのは、わたしたちの日常を編み上げているひとつひとつの所作や、ひと言ひと言発せられることばの断続的な連なりそれ自体なのかも知れません。工学的な知識であれば、なぜそのように作用するのかを知らずとも、例えばスイッチを押すことによってエアコンが動くという具体的な事実によってその有用性が示されます。しかし、例えば、デフォーの『ペストの記憶』がどんな作品なのかを知ろうと思えば、その本を読んでみる以外に方法はありません。「色んな古文を読みたい」という欲望を示してくれた人は、きっと、読むことだけが作品を知ることだと身体で理解しているのでしょう。身体を使って動くというプロセスそのものが、作品への唯一のアプローチなのです。そう考えると、エアコンが動く仕組みを知るために、ゼロからそれを製作するプロセスをやってみることは、実は、まさに最も正しい意味において人文的な営みであると言えるかもしれないのです。今回わかったことは、例えば同じアガンベンのテキストを読んでも、感じ方は千差万別であり、決して一つの一致した答えにはたどり着かないということですね。同じ人が同じ部品を使って何かを製作しても、できふできは人によってばらつきがあります。それと同じように、読み方は読む人の数だけあるのです。しかし、人文学とは人の営みのプロセスそのものなのだと思えば、読解の多様性もまた自然な結果であることがわかるでしょう。人文系と理系(もしくは工学系)が別個にあるのではなく、後者の知恵が生成し、練り上げられ、説明され、利用されるプロセスのすべては人文的なのであり、そもそも両者は不可分に結びついて、プロセスのどこを切り取るかによって異なったカテゴリーに分けられているだけなのです。

 「全力で丁寧に生きる、感じる、伝えに行く。」という元気な声もありました。いつも全力でいることは現実には難しいでしょう。しかし、生きて、感じて、伝えるという、わたしたちの日常そのものの動きが、自分をつねに変化させ、それに応じて世界を変容させていくのだとしたら、「変革を駆動する力」は、他でもない、わたしたちの人間としての生そのものの中にこそ潜んでいるにちがいないのです。人文学とは人間の生そのものだと言ってもいいでしょう。

 このような結論(暫定的ですが)を得られたことは、わたし自身にとってもたいへん貴重な収穫でした。EAAとダイキンとの協働はこれをきっかけに、次のフェーズを目指したいと思います。ご参加くださったすべての方々、イベントの企画と運営に奔走してくださった皆さま、そして、登壇者の3名の先生方、皆さまに心からの感謝を申し上げます。

報告:石井剛(EAA副院長)

マイケル・ピュエット、クリスティーン・グロス=ロー『ハーバードの人生が変わる東洋哲学──悩めるエリートを熱狂させた超人気講義』(熊谷淳子訳、早川書房、2018年)書影