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2021.07.27

【報告】第6回EAAブックトーク

202178日、第6回のEAAブックトークが行われた。参加予定者の定まった直後に4度目の緊急事態宣言の発令が決定されたが、参加予定者が少人数であったこともあり、久方ぶりの屋外・対面方式での開催となった。当日の参加者は郭馳洋氏、片岡真伊氏、崎濱紗奈氏(以上、EAA特任研究員)および本報告執筆者の前野清太朗(EAA特任助教)の4名である。当日は梅雨空で恒例の青空ブックトークとはならなかった。とはいえこの梅雨空を梅雨空なりにその趣を愛でようと、雨中の句会を模して一筆箋の短冊を用意してトークのセッティングを行ってみた。4月よりEAAではお2人の新スタッフ(郭氏、片岡氏)を迎えたため、今回は研究員の相互の研究紹介を兼ねたブックトークを「お題」とした。用意した短冊にそれぞれ持ち寄った本の統一テーマを記し、各自の研究とからめたトークを行っていった。

 

 

トップバッターは執筆者(前野)がつとめた。短冊に記したトークテーマは「既存の社会がいかに「近代的なるもの」を受容するかをめぐって」である。紹介した本は2冊、前川啓治『開発の人類学――文化接合から翻訳的適応へ』(新曜社、2000年)、菅豊『川は誰のものか――人と環境の民俗学』(吉川弘文館、2005年)であった。前者はオーストラリア・トレス海峡を舞台にした人類学的著作、後者は新潟県の「大川」を舞台にした民俗学的著作である。執筆者は台湾農村でのフィールドワークを行ってきたが、そこで長年着目してきたのがコミュニティの内と外の関係についての問題であった。今回紹介した2著作は互いに大きく異なる地域を扱った研究であるが、近代的な諸概念――経営、所有、保護etc.――をコミュニティがいかにローカルに再解釈し「適応」してきたかをいずれも扱っている。またかたや人類学者、かたや民俗学者の著作ではあるが、2著作にはいずれも歴史的な眼が込められている。

続く郭氏のトークテーマは「明治・清末の哲学言説と思想史」である。郭氏は何冊か本を準備のうえ一場のトークを展開してくれたので、うち主要なものを紹介しておきたい。特に話題の中心となったのは、舩山信一『明治哲学史研究』(『舩山信一著作集』6、こぶし書房、1999年)、梅森直之『初期社会主義の地形学――大杉栄とその時代』(有志舎、2016年)、小林武(『章炳麟と明治思潮――もう一つの近代』(研文出版、2006年)であった。最初の舩山信一『明治哲学史研究』は1959年の原著刊行と日本の哲学史的著作としてかなり古い。実際、日本哲学を観念論と唯物論の対立という前提のもとでととらえる論調はいかにも古い。しかし哲学史研究の批判性を重視し、現代的な「哲学」史が描かれる際に「哲学」外とされて漏れてしまうような思想を網羅して論を展開するのが、舩山の哲学史の魅力でもある。続く梅森の著作は、近年の著作ながら日本的な社会主義思想が完成する以前の未熟な思想として日本の「初期」社会主義を捉える遡及的立場を批判する著作である。舩山や梅森の著作に通底するのは「批判」の精神であると郭氏はいう。「哲学する営み」と、「哲学する営みを研究する」間の乖離を結び付けるキーとして郭氏はこの批判性に着目している。最後の小林の著作は、清末思想の重要人物たる章炳麟について、彼が影響を受けた明治思潮の外的視角からとらえようと試みている。思想ないし「哲学する営み」をいかに描けるか、自身の研究上の試行錯誤とともに論じた爽やかなトークであった。

片岡氏のトークテーマは「一次資料からみる生成現場」である。紹介してくれた本は吉田城(1993)『『失われた時を求めて』草稿研究』平凡社、であった。吉田の本著は日本文学の英訳出版について研究してきた片岡氏が文学翻訳を研究するうえで、方法論と研究の意味についてインスピレーションを与えてくれた本であったという。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』をめぐり、草稿から出版までの生成過程を含めて丁寧にテキストクリティークを行ってみせた本著は、文学研究における「原典」や「決定稿」の絶対性を強く批判している。それは片岡氏が行ってきた日本文学の英訳出版においても相通ずるテーマであったという。原著者、編集者、翻訳者の複数のアクターを介して作業が進められるなかで「原典」は大きく改稿されていき、さながら共同叙述に近いものになっていく。

最後の崎濱氏のトークテーマは「沖縄・政治・主体」である。紹介してくれたのは冨山一郎『流着の思想――「沖縄問題」の系譜学』(インパクト出版会、2013年)であった。郭氏・片岡氏のトークでも触れられた、思想をいかに研究するかのテーマについて崎濱氏も重ねて触れてくれた。冨山は、「沖縄問題」の生成プロセスを多様な同時代史料を駆使しながら描き出していく。中央に対し「救済」を申請する主体として「沖縄」を自己描写するなかで主体としての「沖縄」が作られていった、とするのが同著の論旨である。いってみれば「沖縄問題」として沖縄に押し込められてしまう問題の枠組みの脱構築を試みているわけであるが、ここに崎濱氏自身の「沖縄」の問題をいかに「超・沖縄」的な問題として把握するかの向き合い方の苦難があるという。たとえば大日本帝国の領域下にあった諸植民地との比較の問題、戦後のアメリカ統治と1972年以降の基地の問題、これらを網羅的な問題としてとらえる概念として崎濱氏は「辺境」に着目をしている。

各々のトーク後には参加者相互の関心に応じた派生的トークが展開された。なかでも記述の立場性やトリミングの話題などは4名ともに共通するテーマであり、各人各様に意見の交換ができた。研究者が科学(science / wissenschaft)的であろうとすることから生じる「まなざし」の力の問題といかに向き合うか、あるいは逆に当事者の「力」といかに組み合うかは古く長い話題である。新しく(も古い)話題を挙げておけば、翻訳に関してAI翻訳についても議論がなされた。直訳論と意訳論の対立は翻訳論の古いテーマであるが、ディープラーニング技術を活用したAI翻訳は直訳論の極致たる存在だろう。コミュニケーションを介した共同的なテキストの生成として翻訳を捉える立場からは、あるいはスローな翻訳、スローなコミュニケーションに価値を改めて付加できるかもしれない。

これらトークで出た様々な思考はまだまだ論の断片、思考の芽である。昨年末よりEAAでは次々と新しい研究会が立ち上げられてきた。着想した論の断片・思考の芽を各研究会に供給し、やがて結実させるブレインストーミングの場所として、このブックトークの機会を極力維持していきたく望んでいる。

 

報告者:前野清太朗(EAA特任助教)