プロジェクト
一高プロジェクト

もうひとつの一高
──戦時下の一高留学生課長・藤木邦彦と留学生たち

もうひとつの一高 ──戦時下の一高留学生課長・藤木邦彦と留学生たち

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ポスター
パンフレット

会期:2022年3月22日(火)~6月24日(金)
会場:東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 駒場博物館1階展示室北側

開催趣旨

この度、初公開となる新出資料の東京大学駒場博物館蔵「藤木文書」は、昭和18年(1943) から昭和20年(1945)頃に旧制第一高等学校(通称「一高」)で留学生課長を務めていた藤木邦彦(1907~1993)が遺したと思われる留学生関係の文書群である。570件余の小規模ながら貴重なこの資料群は、昭和18年頃から日本の敗戦に至る激動の時期の一高における中国人留学生教育の現場から、留学生一人ひとりの状況を生々しく伝えるものである。

一高における中国人留学生の受け入れは、明治32年(1899)に清国より留学生8名を聴講生として迎えることから始まった。明治41年(1908)に、留学生専用の一ヶ年課程として「特設予科」が設置されたことをもって本格化する。その後、昭和7年(1932)の「特設予科」廃止とともに創設された三ヶ年課程「特設高等科」は当初、中国人のために始められたが、戦時下は受け入れ対象地域が「大東亜共栄圏」にまで広がった。戦後は、敗戦により日本の支配から離れた台湾や朝鮮からの生徒も特設高等科生(特高生)に含まれることとなった。

本展示では、藤木邦彦という人物を核として、昭和18年に設置された一高における留学生課長の職務とその実態について迫るとともに、多様な出自や背景をもって一高に留学してきた特高生たちに焦点をあてている。とりわけ、特高生たちが藤木宛にしたためた 50 通弱の書簡類は、彼らの休学中の帰省先や集合教育という名で行われた疎開先等での状況が把握できる貴重な資料であり、日本語で手紙を書く苦労や親しみやすい藤木の人柄も偲ばれる。これらの書簡を含む文書類は、全寮制の自治精神において語られる所謂「一高」に関する歴史叙述には収まりきらない、より複雑で多様な「もうひとつの一高」の姿を垣間見せてくれる。戦時下の特高生たちは、一高の本科生とは全く異なる管理監視体制の下で悩み、特高生内部においても葛藤を抱えながら、他方では一高の教員を慕い、「一高生」としての誇りを胸に青春時代を生きた。

本展示は、この「藤木文書」を窓口に、当時の一高における特高生たちの実態、その後の特高生たちの同窓会での交流までを含めた戦後における活動を、彼らの刻んだ歴史として示そうと試みた。ぜひ、「藤木文書」から浮かび上がる「もうひとつの一高」を体験していただきたい。 

 

 

主催:東京大学東アジア藝文書院(EAA)

共催:東京大学大学院総合文化研究科・教養学部、駒場博物館、科学研究費:基盤研究(C)「狩野亨吉文書を活用した近代日本の高等教育および知識人交流の調査研究」(研究代表者:田村隆)

「藤木文書アーカイヴ」プロジェクトメンバー:宇野瑞木(東京大学東アジア藝文書院・特任助教)、髙山花子(東京大学東アジア藝文書院・特任助教)、高原智史(東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻・博士課程)、横山雄大(東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻・博士課程)、宋舒揚(元・東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻・博士課程)、小手川将(東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻・博士課程)、日隈脩一郎(東京大学大学院教育学研究科総合教育科学専攻・博士課程)

「藤木文書アーカイヴ」企画・運営:宇野瑞木

顧問:石井剛(東京大学大学院総合文化研究科教授、東アジア藝文書院・副院長)、田村隆(東京大学総合文化研究科・准教授)、折茂克哉(東京大学大学院総合文化研究科・教養学部・駒場博物館・助教)

監修協力者:荒川雪(東洋大学社会学部メディアコミュニケーション学科・教授)、川島真(東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻・教授)

 

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